りとすら

書きたいことがあんまりありません

借りエッティ。

 借りぐらしのアリエッティ見てきた。


 「ジブリもいろいろ大変なのかなー。事務所でかくしすぎて商業的にビジネスを成功させつつけなきゃいけないし、アニメ事務所ってどこも大変だよなぁ・・・。ま、どこも同じか。」
 僕はジブリアニメを見ると毎回イントロ部分でそんなことを考えてしまうのです・・・

 以下、ストーリー

とある郊外に荒れた庭のある広大な古い屋敷があった。


その床下で、もうすぐ14歳になる小人の少女・アリエッティは、
父ポッドと母ホミリーと3人でひっそりと静かに暮らしていた。


アリエッティの一家は、屋敷の床上に住むふたりの老婦人、
女主人の貞子とお手伝いのハルに気づかれないように、
少しずつ、石けんやクッキーやお砂糖、電気やガスなど、
自分たちの暮らしに必要なモノを、必要な分だけ借りて来て暮らしていた。


借りぐらしの小人たち。


そんなある夏の日、その屋敷に、
病気療養のために12歳の少年・翔がやって来た。


人間に見られてはいけない。見られたからには、引っ越さないといけない。
それが床下の小人たちの掟だったが、アリエッティは翔に姿を見られてしまう。


「おまえは、家族を危険にさらしているんだぞ」
アリエッティは、父に反発する。
「人間がみんなそんなに危険だとは思わないわ」


アリエッティは、生来の好奇心と向こう見ずな性格も手伝って、
次第に翔に近づいて行く。
アリエッティの家族に大きな事件が迫っていた。


ーーー人間と小人、どちらが滅びゆく種族なのか!?

 途中まで見ていて、やっぱジブリは描写力に揺るぎがないことに感心。
 10センチくらいの小人から見た世界って生き生きしてるっていうよりかサバイバルな感じがしてて、「生き生きみずみずしい自然」というよりか、「サバイバルな東洋的自然(しかも日本独特な植生における)」を描くのがジブリの真骨頂なのよね。うんうん。と一人で納得していた。
 思えば、トトロもポニョも人工的な自然ではないのである。そこはかとなく死の匂いがする。(僕はトトロとポニョは死神説を信じておりますゆえに)




 途中で。


 「ジブリのアニメが社会的テーマを背負う必要性ってあるんかなぁ?」と。
 そこが引っ掛かったのは途中まで細かな描写に心奪われていたからで。


 途中までの
「借り」にいく描写とか
ドールハウスの描写とか
水滴の表面張力具合とか
 素敵ステキ!!って感じでわくわく見れていた・・・


 突然、翔くんが暴走。。。


 ストーリラインがほとんど起伏がないので、途中で翔(神木隆之介くん)が種族とか絶滅とか言い出した日には

「うわー病弱サイコ野郎が暴走しちゃったよー。
この映画の見せ場は神木隆之介くんのサイコっぷりなのかよ!!」

 と思わざるを得なかった・・・


 あのくだり要りますか?批評家用に用意されたのですか?
 と思っていたんだけど・・・オフィシャルHPで鈴木敏夫Pのこんな一節を発見!!

さて、となると、あとは、監督をだれにするのか?
これは、難題でした。というのも、ジブリ作品は、高畑勲宮崎駿が代わりばんこに作ることで成立してきたスタジオで、気がつけば、ふたりとも高年齢を迎えています。いくら老いてますます盛んといっても、限界があります。「ゲド戦記」で若い宮崎吾朗を起用したように、若い力が必要でした。
だれにするの? こういうとき、宮さんは突然、ぼくをスタジオの責任者として扱います。しかも、考える余地を与えてはくれません。
そこで、すかさず、ぼくは、現在、監督をしている米林宏昌の名前を持ち出しました。通称「麻呂」、麻呂がいいと思うのですが。宮さんの表情に驚きが走りました。え、なぜ? 鈴木さん、いつからそんなことを考えていたの? 2、3年前からですかねえ。 こういうときは、気合いです。ぼくにしたって、麻呂とそんな話をこれまでしてきたわけではありません。問われるままに、名前を出したに過ぎないのです。
ちなみに、麻呂は、ジブリで一番上手なアニメーターです。「崖の上のポニョ」では、“ポニョ来る”のシーンを担当し、宮さんを唸らせたアニメーターです。
よし、あいつを呼んで話をしよう! 事が決まると、行動も早い宮さんです。早速、宮さんのアトリエ二馬力に、彼を呼んで、ふたりで説得です。
まず、宮さんがずばり、言いました。麻呂、これが今度の企画だと言って、原作の本を見せて、で、お前が監督をやれ! そう切り出したのです。
普段、滅多なことでは表情を変えない麻呂が驚きました。監督って、思想とか主張が必要ですよね。ぼくには、それが無いし。そこでぼくと宮さんが大きな声で同時に叫びました。それは、この原作に書いてある! 麻呂は、茫然としましたが、しばらくして、監督を引き受けることになるのです。
その後、麻呂は、最初のうちこそ、宮さんの表情を伺っていましたが、覚悟を決めたのか、絵コンテを描く段階になって、もう、宮さんには相談しないと決めて、そのことを宮さんにも話しに行きました。

 年寄りが・・・無駄な入れ知恵を・・・(宮崎駿はカリスマなので、介入度合が中途半端だと作品がにじむのではないですか?押井守みたいに。たぶん。)



 すっきりさわやかジブリアニメ!だったのが宮崎駿のせいで微妙な思想の注入になってしまったご様子。


 完全に自由にやらせてあげれば素敵なショートピースとして完成したはずなのに!!と悔しい思いで胸がいっぱいです。



 それ以外を除けば素敵な94分でした。ありがとう!!
 いきいきわくわくできる素敵な夏の映画って感じ。80点!