りとすら

書きたいことがあんまりありません

新しさの必要性

リバイバルが、続編が、焼き直しがこれだけ広い範囲に受け容れられている現実に、私は「疲れ」の存在を感じた。薄く、広く、みな疲れているのではあるまいか。新たな物語、新たな楽しみへ至る壁は高すぎて乗り越えられず、隙間から向こう側を覗くこともできない。

作り手側が「新しい物語なんてない、組み合わせを替えるのがせいぜいだ」と口にするようになって久しいが、作り手の自嘲でも諦観でもなく、「新しい物語は、必要とされていない」のではないだろうか?

私は、宇宙に出た人類の革新を信じている。
しかし、人類全体をニュータイプにする為には、
誰かが人類の業を背負わなければならない
―――『逆襲のシャア

 ティーンのころに感じた文芸や映像の新鮮さというのは二十歳をすぎたころから色あせてきて「最近は映画の見過ぎで奇跡も珍しくなくなったね」って言えなくもないけれど、それでも新しいものに出会った時の感動というのはまだまだ足りない。
 と言い切れるくらいに、まだ「見たことのない世界がみたい」という欲求は根強い。


 若い頃「学習してしまった」原型にも、更に「原典」が存在していることを年齢を重ねるにつれ知る。
 でも、新たな学習が、この年齢になっても、まだあるという感動。その味を知ってしまったが最後、人間の欲求である好奇心は抑えきれない。


 それが「新しいもの」に対する欲求の根源。あたらしい原典に通じる、新しい要素を探してしまう。
 古いものに耽溺することは容易く、心の糧にはなるけれど、それでもなお。なお求める。


 だってさ、疲れとかじゃなしにさ、その興奮の味を知っているが故に、逃れられないもんね。新しさの魅力とはそこにある。