りとすら

書きたいことがあんまりありません

繰り返される『スカイ・クロラ』

人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。
―――ロマン・ロラン

あらすじ: 永遠に生きることを宿命づけられた“キルドレ”と呼ばれる子どもたちが暮らす、もう一つの現代で、彼らは“ショーとしての戦争”で戦闘機に乗って戦っていた。戦うことで生を実感する日々を送る中、元エースパイロットの女性指揮官・草薙水素菊地凛子)と基地に赴任してきたエースパイロット函南優一(加瀬亮)が出会う。

永遠の平和。生を実感するためにショーとしての戦争を維持するキルドレ。彼らは戦闘機に乗って戦う宿命を背負い、殺されなければ思春期のまま生き続けるーー。平和憲法に守られ爛熟したこの国で、果てしない日常を送り続け、アニメやゲームの中で戦争シミュレーションを繰り返し、その中では何度でも死ぬ世代の映し鏡として魅力的な設定だ。地上を2Dアニメ、空中戦を3DCGで描き分け、空にいるときだけ何もかもがリアルで、死に直面してまざまざと生を感じるという演出が冴えわたる。 淡々とした地上で、押井映画史上最も切ない恋が芽ばえる。自身の生を確認するかのように相手の人生に介入するほのかなエロスは、肉体をも貪る愛へと発展する。そして主人公は、運命を変えるため“見えない敵”に立ち向かう。その先にあるものはリセットか、ループか。 同様に今の日本をモチーフとし、狂おしいまでの想いが世界を揺り動かす「崖の上のポニョ」と本作は、ポジとネガの関係にあるといっていい。「永遠」を打ち破るための「テロ」というテーマから、押井の過去作との繋がりを見出すのはたやすい。だが重要なのは、諦観や厭世観に満ちていた作品と異なり、かすかな希望の匂いがすることだ。生をいとおしみ、人肌を欲する感覚。シニカルな生き様を脱し、何かのために生きる覚悟を新たにした作家の姿が垣間見える。押井の新境地は、思想家がエンターテイナーへ変貌したかのようにエモーショナルだ。(清水節)(eiga.com)

繰り返される生

 キルドレは歳を取らない。17歳程度の外見のまま、生き続ける。彼らに共通するのは、曖昧な記憶と、ぼんやりとした感情、そして頻繁に訪れるデジャブ。生きているのか死んでいるのか夢をみているのか起きているのか。
 戦死しない限り死ぬことがない戦闘機乗りにぴったりの小柄な彼らを燃料として、「もうひとつの現代」のなかで社会装置として駆動するショーとしての戦争。
 ヒロイン、草薙水素は言う。

「戦争はどんな時代でも完全に消滅したことはない。それは、人間にとって、その現実味がいつでも重要だったから。同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っているという現実感が人間社会のシステムには必要不可欠な要素だから。そしてそれは絶対に嘘では作れない。戦争がどんなものなのか歴史の教科書に載っているだけでは不十分なのよ。本当に死んで行く人間がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけなければ、平和を維持していけない。平和の意味さえ認識できなくなる。空の上で殺し合いをしなければ、生きていることを実感できない私たちのようにね。」

 キルドレは繰り返し生まれ変わる。その癖や技術を受け継いで。

昔、君みたいに新聞を丁寧に折りたたむ男がいたっけ。

「普通は前任者に戦闘機の引きつぎをするもんでしょう。なんでないんですか?」
「知る必要はない。」
・・・
「なんかしっくりなじみます」

 繰り返される生のなかで閉塞感に打ちひしがれていく生き残ったキルドレ草薙水素はその円環から抜け出ようと主人公・函南優一に言う。「私たち、ずっとこのままだよ」

いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。
いつも通る道だからって景色は同じじゃない
それだけではいけないのか
それだけのことだからいけないのか

 主人公は円環から出ようと、大人の男のパイロット、ティーチャ―に一騎打ちを挑み、散る。機体名は「散華」。スタッフロールの後、基地に降り立つ男がいる。函南優一の生まれ変わりだ。
 草薙水素は言う。「君を待っていた」




 押井作品の一貫して見られる特徴に、リフレインする入れ子構造がある。うる星2では繰り返す夏と文化祭のイメージ。イノセンスではキムの館のトグサがそれだ。アヴァロンはゲームと現実の入れ子構造が提示されていた。
 クラインの壺のなかで、その円環から抜け出すには、現実をゆがめるためにボスを倒すか、そのゲームから降りるしかない。
 そのボスが今作ではティーチャ―であり、函南優一は戦闘機のなかで「kill my father!」と言う。キルドレとオイディプス症候群の暗喩。字幕では「ティーチャ―を落とす」と出ていた。
 函南優一はその最後に撃たれてしまうが、はたしてその最後の記憶は、生まれ変わった彼に引き継がれたのだろうか。その魂は。
 草薙水素が見つめるオルゴール。繰り返す生のモチーフ。

ティーチャ―は誰か

 作中で暗示される草薙瑞季の父親は、間違いなくティーチャ―。
 ティーチャ―はコールガールとよく関係を持っていたが、草薙水素がそれに対して思うところは大きい。少女のままである自分の身体性と自分の精神との断絶を回復させようと儀礼的行為に及ぶ。


 オイディプスは果たされず、父は絶対的権力者として立ちはだかる。
 姿すら見せず、頭の中にこびりつく父親の呪縛。

音響美、映像美

 戦闘機同士の大空でのドッグファイト。スクリーンを縦横無尽に駆け巡るプロペラ機たち。臨場感。音響。懐かしいエンジン音。
 白を基調とした空のイメージ。ぼんやりとした空の色。

個人的感想(マーケティングとか)箇条書き

 日テレが絡んでいるので宣伝が仰々しい。ビラ類もかなりばらまいていたけれども、従来の押井作品としても十分に成立しているので、そこまで頑張らなくても良かったかもしれない。複線の回収にはパンフが重要なので、これ売っていったほうが顧客満足度高まると思う。
 加瀬亮が素晴らしすぎる。そして加瀬亮谷原章介の二人が英語喋れるので、戦闘シーンが楽しかった。菊池凛子の声当てが幼すぎる疑惑は拭い切れないがツンデレっぽくて草薙水素にぴったりかもしれない。
 オルゴールがイノセンスと色調同じで懐かしい気分になった。
 榊原良子がいたことで、俳優ばっかだった声優陣も引き締まって聞こえた。安心した。
 愛の究極形は相手を破壊してでも手に入れたいと思う感情だというのは同意。だが現実でこれをやると自分の身を滅ぼしそうなので、もっと現実的なレンアイやイロコイの方が好き。
 草薙水素のサングラスの細かい演出が気になる。はずしたりかけたりメガネにしたり。
 出てくるキャラクターのほぼすべてがタバコ吸ってた。禁煙してる人が見ると辛そう。