りとすら

書きたいことがあんまりありません

教育絶対領域への干渉

 なんか勉強ってのは結局のところパターン認識にすぎなくてなんだかんだ言ってもつめこみ教育ってのからぬけだせないんだけどそれでも何を思ったのか洗脳装置のようなものとして個性をはぐくむ教育っていうなんだか宗教じみた魔法の言葉があってそのせいで教育というものに科学的な方法を完璧に持ち込むことはタブーとされていると、教師たちは感じているし信じ込んでいるので塾というものはいつまでたっても教師たちからうとまれ蔑まれることになっているんだけど、それは塾講師としては承知するわけにはいかなくて人間の教育であっても人間というものが所詮一生物にすぎないのだからそこに科学的な方法を持ち込んでいけないいわれがありましょうかっていいたくなる。
 教育という分野は神聖視されているしほかの家の教育には口を出さないでくださいという常とう句まで生み出され自分の親としてのエゴを守る時に使ってしまわれたりするから教育ってジャンルの力の大きさにはただただ立ち尽くすしかないような気もするんだけど、塾講師はそんなことにひれ伏してしまったら正当性を担保できないのでそれには承知せず、科学的な方法のなかで子供が教育されていくときに逆に引き起こされる奇跡みたいなものに期待してしまうという鬱屈した精神構造で仕事を進めていくことになる。塾講師なんてものはサービス業だったはずなのにもかかわらずどうしてか教育という神話を背負ってしまっている以上何らかの正当性が必要になってきてただのプロのサービスマンになるというよりかは勘違いした方向で教師を目指そうとする。教師と塾講師の間には小説家と片説家ぐらいの差があって塾講師はプロテインとしての教育しか施せないしそれがかなり一方的な金銭的契約で成り立っているから踏み込んでいく力を持たないためにそれが悲しい。