りとすら

書きたいことがあんまりありません

スイーツ女は低能でなく、適者生存への進化である

 最近、一般人の会話の中でも「スイーツ女って馬鹿っぽくて嫌だね」と言うモテ女に対する僻みをいうモテない女(喪女)とか、「スイーツ死ね」という非モテ男(喪男)とかが散見される気がするけど、スイーツ女は本当に低能なんだろうか?

スイーツ(笑)またはスィーツ(笑)とは、女性誌、特に女性向けファッション雑誌に多く見受けられるバズワード的なキャッチコピーを用いたマーケティング戦略にマインドコントロールされているかのような一部の人たち(主に女性)を揶揄するインターネットスラングである[1][2]。単にスイーツと表記する場合もある。また、それらの人物によく見られる思考回路のことを、スイーツ脳ということもある。転じて、女性誌に限らずマスコミの恣意的な報道を鵜呑みに信じる者、メディア・リテラシーのない者、ひいては流行・快楽ばかりを追従し、一般常識や知識やモラルが欠如した若年女性を総称して指す風潮にある。
―――スイーツ(笑) - Wikipedia

 スイーツ女は女性雑誌の多様化とライフスタイルの多様化、家族や地域コミュニティの喪失と密接にかかわっているような気がしてならない。
 彼女達は、生き残るための巧妙な戦術として、あえて「バカっぽい」スイーツ女を演じているのではないのかという疑問である。

信じるべき価値がない(大きな物語)世界でコミュニティ(小さな物語)だけが重要

 スイーツ女のメディアリテラシーのなさに関しては、しばしば批判の対象となり、ネットでは叩かれていくことになる。しかし、現実世界でそれらの行為は女性同士の共同性(=コミュニティ)を疑似的に作り出す効果を、ある特異な方向性で実現させて行くことになる。

「あ、この服、ちょーかわいい!!」
「そーだね!」

「このまえ、デパ地下の○○の前を通ったら、すっごくおいしそーなパフェあってさー!今度いこーよ!!」
「えー、そうなの!いくいく!あそこ行ってみたかったんだ!!」

 一種の女性的暴力(共同性への強制加入力)をはらむこれらの言動は、我が大学内でもたびたび散見されるし、オフィス街にてお昼ごはんを食べていたりすると、隣の席から聞こえてくる。


 男性と違い、女性は社会ではまだまだ少数であり、同性としての悩みや価値観の共有などを効率的に行うためには、男性コミュニティではなく、女性は女性のコミュニティに属することを余儀なくされるし、それを効率的に選びとっていく。

男の視線

 もちろん世の女性たちが総じてスイーツ女に変貌しているわけではないが、スイーツ女らしきものはバブル期にジュリアナで踊っていた女性像と通じるものがある。
 それは、「男受けする女」である。


 メディアリテラシーがないばかりか、自分の価値観を一般的な雑誌やテレビのそれに合わせることは、その個人自体の思考力や判断力を否応なく著しく低いものとして我々の前に露出させる。
 その状況下では、その場の空気が背景化し、その女性の低能さが前景化してくる。そして彼女達はそれを解ってやっている(!)としたらどうだろう。


 低能さをアピールすることはスイーツ(笑)の発言として有名な「頑張った自分へのご褒美」「自分らしさをアピール」「自立した大人の女性」「ワーキングビューティー」などの自己実現系の発言を背景化させ、低能さを前景化させている。
 そしてアピールされた低能さが男性の庇護欲求を駆り立てる。守ってあげたい欲求が沸々をわいてくるのだ、それが虚偽に作られたイメージであると気付かずに!
 スイーツ女ほど、裏では何を考えているかわかったもんじゃないのに関わらず、男性がひかれてしまうことになる。スイーツ女は『臨死!!江古田ちゃん』でも描かれるように「猛禽」なのである!

スイーツ女

 彼女達は「うーん。スイーツ!」と言っているだけではない。それらの態度は巧妙に選ばれたものであり、選択されていったものだ。
 我々はそれについて戦略的に思考し、選択していかなければいけない。


 スイーツ女になるかどうかを、スイーツ女に惹かれるかどうかを。