りとすら

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教養障壁をピラミッド構造でもって打破する

 この世の中には「教養」というものがあるらしい。と信じられている。
 今回は単館上映の映画だとか、演劇だとかオタ文化といったものに存在する参入障壁について考えてみたい。


 マイナーな文化は、どうやってその後継者とか消費者を育てるのか余裕がないので、とりあえず自分たちがやりたいことを精一杯やっているだけの原理で動いている。それは自家消費でもあって、製作者が消費者にもなっていて、商業的なピラミッド構造を持たない。

 そういった文化がどうやって生き残っていくのか、とても興味があって、「いまさらアングラとか言ってちゃ」とかいった言説に対抗する手段を、マイノリティ文化製作者そして受託者は自家消費の渦から抜け出すためのシステムを構築しなきゃならないんじゃないだろうか。創るサイドの問題として。



 たとえば単館上映の渋谷の映画館に、誰が来るというのだろうか。
 たとえば吉祥寺シアターでやっている演劇に、誰が来るというのだろうか。


 ある種の特殊な教養がその消費者に存在しなければ享受できない文化ならば、今後世界が拡散するにつれてその文化が生き乗っていく可能性はどんどん逓減していく。世界の拡散((端的に消費の多様化と言い換えていい))がもたらすのは、教養という名の参入障壁と言い切っていい。これを打破していく必要性がある。


 そのために成すべきことは、ピラミッド構造をもつことである。ブランド的なピラミッド構造だ。それはラグジュアリーなピラミッドではなくて、コア層が好きな、ジャンキーが好きなものほど、ピラミッドの上位構造に属する。そして、下位にわかりやすく簡単で手間のかからないものを用意しなければいけない。それは閉じこもったコヤでの舞台ではなくて、ゲリラ的なスターバックスで舞台劇を用意してもいい。*1


 ライトユーザーは、将来のコアユーザーになる可能性を秘めている。だからもっと、初心者に対して間口を開かなきゃいけない。開かれた文化でなければ、拡散する世界の中で存在を忘れ去られてしまう。

*1:一例にすぎないので、他の文化でも用意できるだろう