りとすら

書きたいことがあんまりありません

正当性の担保

自社製品(あるいは商品)を広めるために海外でドサまわりする営業マンをテレビでみたりすると、彼を突き動かしているのってなんだろうって思う。
表向きは“会社のため”ってことかもしれないけど、埃と汗にまみれながら営業するにはある程度、正当性ある使命感に支えられないとできない気がする。
―――ブログ更新できねぇー - どーやって生きる?

 人が生きていく上での信念だとか信条だとかいったものは、生まれてきてから社会的に身につけていくものなんだろうけど、どうも大人になりきれていない僕は、「正当性ある使命感」みたいなものを持てない。


 持てないことが「かっこいい」だとか持たないでいる「立ち位置系」でもなく、普通に生きているうえで、自分の立場を明確にする必要に迫られることなんてほとんどないし、そこまで自己同一性に縛られて生活しているわけでもないから「なんとなく生きてきましたけど、何か」って開き直ることさえしなくていい。


 で、就職活動どうするよって話。
「お前らだって、学生の時分に何してたんだよ!?」って言いたい。


 「御社に志望した動機は○○○」みたいなことに正当性が担保されているのかといえば、とてつもなく怪しくて、どうも人事システムだとか採用システムってのに納得できない。
モニタリングの問題もあるから、長期にわたって面接することで見抜けるとは到底思えないから、3、4回の面接を通じて新卒の採用をするのは経済合理的だって認めるしかないのもまた事実なわけで。


 でも、就職するこっちにしてみればすっげー嫌なんだけどね。現実と理想のギャップに悩むどころか、「そんなもん見たくねぇぜ。俺らはピーターパンになりたいんだぜ。」って言ってる学生のほうが多いんじゃないですか、人事の方々。


 もっと学生に夢を見させないと、人事なんていつかは閉塞してしまうんじゃなかろうか。