りとすら

書きたいことがあんまりありません

算数を教えている身としては

 孫引きの孫引きなので、責任は持ちません。
 あくまで中学受験に限った話。
 しかもサピ教師として、開成、筑駒、麻布を量産している自負を持って言う。

この点から、僕はこの人のここの意見には反対。

しかし、逆に別解を何かすばらしいものであるとすることも、また誤り。既存の、しかも周知の法則や公式で紡ぎ出した回答は、結局意図された結果と同じ物を生み出したに過ぎず、回答の早さに劇的な差があってそれが積み重なりものすごい結果を生むならともかくとして、実際には単に通った国道の番号がちょっと違う程度である。それではただの正答との差は無い。ただの○以上たりえない。
―――秀でるということ - 自分、無粋ですから

国道の番号は違えど、他の道が見えている(注意:「知ってる」とはちょっと違う)ことは、事故で一般道が通行止めだったり渋滞にハマったときに役に立つじゃないか!
―――別解がバツになるような地方のアホな進学校に入ってしまった君たちへ - ニート☆ポップ教NEO

 つーかね。教科書の「正攻法」が素晴らしく正解とは限らないわけ。
 俺はサピのテキストを無視。それが結果を出すから、それが正しいと信じて今年も無視している。


 算数において一番重要なのは○を得ることだけれど、途中式が求められる状況なんて上位校でも限られている。それはその学校が「プライド」を持っているかどうかというあいまいなところに依存してしまう。


 だがね、今の中学受験業界では、昔みたいに「神のような別解」を書いただけで合格するような生ぬるい世界じゃない。受験業界はよりシビアになってる。
 俺らの世代ぐらい(10年前)まではまかり通ってた常識は、通用しない。


 でだ。
 算数に一番必要なのは別解じゃなく、正解までの時間ロスの少なさなんだな。
 そこが別解の持つ素晴らしさ。一秒が劇的な差を生む。


 「通った道が違う」だの、「渋滞にハマったときに役に立つ」だのといった話ではない。(あくまで中学受験の算数)
 受験で受かるためには、他人ができる問題をすべてこなした上で、もうひとつの問題をとく。それだけ。それが大変。


 その、正攻法が浮かばない難問に賭ける時間を用意するために、数限りない別解を生徒に叩き込むのが算数科の教員の仕事です。
 そのために正攻法だけでない、個別具体的な弱点をつく魔法をラーニングさせるわけです。


 理論とか理屈とか、どうでもいいと思っている。詰め込み教育と言われようが構わない。基礎ができていない人間に、応用ができるわけがない。
 真の応用は、解法が個別的に用意されざるを得ない問題だ。



 正解のなんの意味があるというんだ。正攻法の意味があるとでも。



 小学生に「三平方の定理」を覚えろと言っても無理だし、√を使う面積問題を解説しても体系化しない。つまり定着しない。実際には両者とも出てくるのに関わらず。
 いままでの積み重ねを使えるようにするために、別解を叩き込んで「使い物にする」しかないじゃないか。



 基礎なんて繰り返せば誰だって覚えられる。受験生の上下を分けるのは、その後の根性や努力が付いてくるかどうかだ。
 必然性のない受験生なら受験をやめた方がいい。血反吐を吐くくらい受験しか目に映らない受験生が、ぼくは欲しい。



 習い事をやりつつ、受験をこなそうだとか笑わせてくれる。甲子園に行くつもりで受験勉強してくれ。



 そのために一番必要なのは、塾講師を選ぶことだ。
 全体を見通した算数科/国語科の塾講師を。
 高校受験や大学受験は知らん。中学受験を素人が分かるはずがない。
 だから中学受験の講師は、いまだに特権階級に甘んじることができる。*1


 公立高校なんかの社会的階層の再生産を問題にしていたら、俺らの仕事がなくなるぞ。
 PTAは責任取れんのか、という話。

*1:大学受験の講師は金銭的な面での特権階級ではあるが