りとすら

書きたいことがあんまりありません

ダーツ

 ハルカに連れられてダーツをしに行ったんだけどダーツを投げる行為そのものに面白さを感じてしまってこれは何が面白いんだろうかと考え込んでしまいハルカの言うことが頭に入ってこなくなった。


 ダーツはただ矢を投げてそれが的に刺さるという単純な動作ではあるんだけどその単純な行為の中にはるかに長いその人が経験してきたダーツに関する経験がその一投一投すべてに圧縮されているというプロセスに興味があるのかもしれない。これは別にダーツじゃなくてもよくて、例えばその人の歩き方にはその人の人生の中で得てきた運動経験がすべて含まれているのかもしれないという思考の発展が含まれている。ダーツはその運動の人生経験という側面を端的に表しているのかもしれなくて、下半身の用意から上半身のスローイングまでという複雑なプロセスをその人の人生の中での運動経験を反映していると考えてしまうのにそんな無理はないのかもしれない。
 ダーツの面白さはそんな運動経験についてじゃなくて一投一投がすべて分割できるところにもあって、それはすべての運動が連続性の中での評価を受けることを前提にしていうる中で「分割可能な運動」という特異性が面白く映っている。たとえばサッカーであればそれぞれのポストプレーが評価されることはあっても全体の中での動きがやはり重要なんだろうと思うけれども、ダーツにおいては全ての投擲が評価される対象になる。例外として3回のなかでという評価軸はあっても基本的にはすべて独立している。独立した事象をつないで全体性を成り立たせなければいけないという跳躍に面白みがあるのかもしれないとはそういうことだ。


 自分の運動経験を客観的に図ることは不可能だと思うけれども一つの動作を検証することを通じて修正が図れるというスポーツははるかにやりがいとやりようが存在する気がして漸近的な成長が可能なのかもしれないという点が面白さなんだろうと思う。


 「ほら、はやく投げなよ〜」


 自分の一つの前の投擲を思い出して自分の軌道の癖を思い出しながらその軌道を自分の手元と的の間に介在させ矢を投げる。
 刺さるという単純な結果が楽しみを倍増させる。