りとすら

書きたいことがあんまりありません

ペルソナを被るのか、被らないのか

友人関係、「コミュニティー」を高めることで
戦闘時の能力値そのものであるペルソナの、合体生成時に経験値ボーナスが付き
ペルソナのレベルが上がります。そのレベル近郊において戦闘で稼ぐより大量に。
主人公のレベルを超える仲魔、でなくてペルソナを生成できないのが
このシリーズにおけるバランス調整の基本であり伝統でありますけれども
『真女神3』とはまた違う形で、このボーナスにより戦力増強ができるのであります。
―――2007-06-03 - へたれゲーマー駄文

 今更なんだけど「ペルソナ3 FES」をプレイしてる。あたらしく開発された「コミュニティ」っていうゲームシステムが従来のペルソナシリーズ、女神転生シリーズと比べてとても示唆的で面白い。

 「女神転生3」で、プレイヤーが選んでいく/選ばされていくのは「世界の成り立ち方」みたいなもので、力を頼りにしていくか、秩序を重んじるのか、個が個として独立していくのか、それとも・・・っていう思想的な選択に迫られていく。

 それに対して「ペルソナ3」でコミュのレベルを高めるためには、対応するコミュごとに違った振舞いが必要になってきて、客観的にみれば空気の読めない男や女に合わせていくことは、処世術としてとても凄い。もちろん、コミュのレベルを上げなくてもいいんだけど、苦労するのは自分なので、そこをふくめての処世術が試されているといえるだろう。

 二作品はきわめて対照的でありながらも、おなじ「どう生きるか」をテーマにした女神転生シリーズとして成り立っている。


 ぼくらが普段生きる上では「女神転生3」みたいなレベルではなく「ペルソナ3」レベルのたち振る舞いが必要になってくるんだけど、はたして一貫性のない振舞いは相手に向かっては機能するものの、自分としてはどうなんだろうか。恒常性は保たれるのだろうか。


 「僕はぼくのことが分かる人だけがまわりにいればいい」と言い切ってしまうのは、生命体としてリスクが大きすぎるので間違っているけれど、あまりに八方美人なのもいかがなものか。
 であるならば、ある程度の八方美人さがそのままパーソナリティーになってしまえば、とても生きやすいっていうことを結論付けてくれているのかもしれない。

ペルソナ3フェス(通常版:単独起動版)

ペルソナ3フェス(通常版:単独起動版)