りとすら

書きたいことがあんまりありません

物語り

 なんかいつも特に気にしていなかったし、お母さんも迎えに来ないからまったく意識していなかったんだけど、そういう生徒に限っていきなり面談の希望が来たので、明日受けることにした。

 授業も大切なので面談室に待たせながらいろいろなことをしゃべるべきなのかとその生徒の学習態度について考えてみたんだけどどうにも執着がないし子供にしては負けん気も見えないからこの子は子供ながらに立ち位置系なのかと思っていて、それはそれで思われるのは失礼な話だよなって思っていたら、手元で進めていた授業が終わってしまったので面談室に向かった。

 まあお母さんが言いたいのはたいてい生徒の成績が悪いんですって話でそれは塾じゃなくて学校に勤めていても思うんだろうけど特別な生徒だとか親御さんってのは先生方にとっては存在するわけがなくてたぶん悲しいことに仕事が人生であるわけではないから書き割りにしか見えていない。だからどうしたもんだか何をしゃべっていいのかぼくはまったく言葉が見つからないので相手の出方をうかがうことになってしまった。

 ここまで執着のない子供は子供らしくなくて多分まだマトモなプライドとか意地とかが育まれていないだろうからそんな感じなんだろうけどよくここまで育ったよなっていうセリフは心の中にしまって、これからこの家庭との信頼性を築いていけばいいのかいまぼくは試されているのかも知れないなと思ったので一番強い理論武装である時間論を引っ張り出して心の中で武装させている間に相手にしゃべらせた。面談では相手の出方で武器を選んでいくことが一番大事だ。


 「お子さんって・・・どちらかというとあまり執着とか欲望とか無いんですよ」
 「そうですね」
 「でも彼には譲れないものがあって・・・たとえばよくサッカーの話を聞くんですが、たぶん彼はサッカーで負けたら絶対悔しがる。でも勉強とかテストで負けてもそんなには悔しがらないんですよ。私がこれからやらなきゃいけないのは、そういった愛着だとか執着だとかを勉強に向かせることです」
 「・・・はい」
 「そういった勉強に対する欲望っていうのはたぶん、単純に勉強している時間がそうさせてしまうと私は考えていて、とにかく学習の習慣をつけて、今日はここまでやるだとか今日はこの時間までは勉強するだとかいった環境はこちらで整えなければいけません。その上で勉強に対する執着が生まれていくんじゃないかって思います。勉強ができる子っていうのは、知識欲が高い子供なんですよ。小学生は自己演出がないからそれが露骨に出ます。その欲望は、単純に、接触時間が閾値を超えると生まれてくると思います」


 言った内容に偽りはないけれどやっぱりここでの面談内容よりも大切だったのはぼくが本気で先生をしていて貴方の味方で一緒に子供を育てていきましょうっていう暗黙知が大切でそれは一般に信頼って呼ばれているんだけど、なによりもお母さんを本気づけたことだ。子供を塾へ行かせることって子供への投資だとか親のエゴに見られがちだけど塾講師が信じていなければならない神話みたいなものがあって、子供の自己実現をさせているということが目的で塾に通わせていてぼくらはそのために尽力しているんだという物語だ。これを信じている以上騙っていることはないんだけど本当にこのことを信じられているかというと自分でも怪しいと思ったけど、渡邉美樹が「無理を一週間続けていれば無理じゃなくなる」と言っていたので、まだ信じていようと思った。