りとすら

書きたいことがあんまりありません

利便性は差別化のツールになりえない

たとえなったとして、それは一時だと思う。


たとえばコンビニで引き下ろせる銀行のATMサービスだとか、家で入れたほうがおいしいコーヒーを外で買ったりだとか。コモディティ化した商品は、その利便性だとか速度性といったもので差別化を図っている。


だが、それは一時のことで優先性を保てないんじゃないのか。


時代の変化によって新しいイノベーションが起こればパラダイムシフトが起こって、そんな速度性だとか利便性なんていった些細なコモディティ財は駆逐され続ける。


その駆逐を傍観者として静かに見守っていたいけど、いつかはそんな小さな差異を作るためだけにサラリーマンとして働くことになるってことが直感的にわかってるから、ぼくはいまだに正当性を担保できない。