物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)
- 作者: 大塚英志
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2004/10
- メディア: 新書
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この本は、「ブンガクの復興を!」と唱える大塚の仕事の一つにすぎないんだけども、
そのなかで気になった記述があった。
歴史的認識が欠如している
というくだりである。
俺が昔から感じている教育の不足とは「歴史的認識の欠如」に他ならなくて
その代替を俺はブンガクでやってのけてしまった感じがある。
人間が原初的存在である頃には
ただ自分が存在して、日々の生活を営んでいるという環境さえあれば
その他に何もいらないはずだ。
しかし、近代化が進むにつれて社会が高度化し
そこに歴史という認識軸が必要となってくる。
現代日本教育には、こうしたアイデンティティの問題として
「歴史教育を怠っているのではないのか?」というのが俺の問題意識としてあって、
一番悩んでいた高校生の頃ぐらいにテツガクやらブンガクやらを読み漁った記憶がある。
はっきりいってしまえば、歴史的認識の欠如とは
60年代以降の日本のカルチャーの敗北が描かれていないのではないことにある。
マルクス主義という進化論が破れ(団塊の世代)そのあとに浮ついた物事が動き出す。
そして来るべき80年代バブル。その後に生まれたのが僕らの世代なんだ。
こういった認識ナシに、ただ受験のためのツールとして勉強を教え込むから
大衆に教養なんてものが生まれるわけないし、いつまでたってもアイデンティティを確立できない。
それが今の大量の小学生の自殺者を生み出しているのではないか。
本当の教養とはアイデンティティとともに成立するものだろうし、
歴史的認識がないままに、社会で生きていけるわけがない。
だから俺は世代論をよく使う。