りとすら

書きたいことがあんまりありません

mixi限界論

「最近mixiを始めたせいで、ブログの更新をしなくなっている」
っていう言説がある一方、mixiの限界を感じる俺としては
まったくmixiを更新する気がなくなっている。



なんで俺がmixiから離れていったのか考えてみた。


mixiを始めた頃は
コミュニティなんかで違う文脈の人と繋がると
Web2.0的で、新たなメディアの台頭なのか!!と思ったんだけど
実は、それはまだ先住民のアクティブさが残っていたからではないのか。
http://blog.project92.com/2006/04/mixi.html
(Project92 blog: いまさら知ったショックと、mixiの限界と可能性)

「あいさつはこちらで」の気持ち悪さ

具体的な事例としては
コミュニティのメンバーが2000人を超えた時点で
いきなりmixi的ではない話題がでてきて
「あいさつはこちらで」のトピックが必要とされた。


ブログ文化圏http://kotonoha.main.jp/2006/01/06trackback.htmlを考えればわかると思うんだけど
トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか)
トラックバックを挨拶必要なもの」だと考える人間が
mixiにも流れ込んできたことだと思う。


ブログとmixiが現実と地続きになっている人間が少なからずいて、
そういった人間は「語り」をしたとしても
「おぉ、熱いね!」という友達からのコメントだけで留まってしまって
新たな文脈を形成していく事が出来ない。

mixiに現実が介入してくる

後々に加入してきた人間は、社交辞令的に
mixiやらない?」といって
いきなりブログ的な世界に引き込まれたんだと思う。


ブログ的なジャーナリズムというのは
「一般人が、Web上にある情報資産を活用しつつ
社会的事象にコメントしていく」
という特殊なものだと思う。
(たとえば今回の記事のようにリンクを張っていく。)
でも、そこに一般人が加入してしまったら??


たとえ一般人にブロガーの才能があった人間がいたとしても
mixi内に現実と同じコミュニティがあるため「口を噤まされる」こととなる。
これでは新しいコミュニケーションツールになるはずがない。


mixiが一番間違えちゃいけなかったことは
「全ての人間と仲良くすることは出来ない」
って大前提だったんじゃないのかと思う。