りとすら

書きたいことがあんまりありません

「マーメイド」スガシカオ

スガシカオの歌詞を解釈してみる企画。

ぼくらが昔  つばを吐いて嫌った
いやらしい大人の匂い
このまえ君の 自慢のそのシャツから
そんな匂いがしていたけど・・・
大人じゃないフリしているのは 都合がいいから?

子どもには誰しも、綺麗なままで居たいという
正義的欲求のようなものが存在していて、
それはとてもわがままに自己拘束性を帯びる。
それは「ぼく」の自意識に対して強い遡及性を持つことになる。


あまりに無意識に「汚れてしまわないこと」と望むあまり、
大人になりかけている「君」に対して問い詰める事が出来ず
立ち尽くすしかない「ぼく」は、はたして「大人」ではないのか。


2人の間に横たわる溝は深いが、大人なのか子どもなのかといえば、
2人とも大人であるとしか考えられない。


もしそうでなければ「ぼく」は「君」を
「人魚の肉で 望みどおりの永遠を手にしたらいい」
と突き放すマネはしないだろう。
「ぼく」は「もう決めてしまったんだ 歩きつづけていこうと」、「君」から決別する。
「大人」にもうすでになってしまった「ぼく」となりそうな「君」との溝。
「ぼくは君の とぼけたユメなんか 聞きたいとは思わないけれど・・・」


大人になってしまった「ぼく」は「人魚の肉」「近づけない」んだけど
「君がもし少年のままで 輝いていたいのなら」「望みどおりの永遠を手にしたらいい」と
「ぼく」は突き放す。


「ぼく」は「歩きつづけてい」くと決めたのだから、昔嫌った「大人の匂い」を受け入れている。
其れに対し、「君」はまだ少年のままでいるのだから、突き放すのだ。


誰も手に入らない(手に入れようと思わないから手に入らない)人魚の肉がもたらす永遠の少年時代。
そんな幻想をかなぐり捨てて、いやらしい大人の匂いをさせて生きていく「ぼく」の決意の歌。