りとすら

書きたいことがあんまりありません

子育てがただひたすらにツラい

子供がそろそろ1歳を目前として、日々成長しているのは何とも嬉しい限りではあるが、それはそれこれはこれ。

なくしぐずるし際限ない。当たり前だけど。

早く1人になりたい。

妻とは会話が成立しなくて余計に辛い。


あとはもうひとりで部屋の隅にうずくまって、心を殺して生きていくくらいしか思いつかない。

親という呪い

就職してすぐ20年間過ごした実家を飛び出て富山県なんて辺鄙な地に飛び立ってしまって、両親も一回くらいしか富山に来なかったのは、俺のことをおもってなのか、それほど息子に関心がなくて自分の人生に一生懸命だったのかは定かではない。

 

子供が半年を過ぎてハイハイからつかまり立ちする今、成長が著しい。そんなさなか一本の電話が。

 

 

「ふつうは長男の実家に子供を見せに来るもんだ」という。

 

 

久しぶりに聞いた「ふつうは」という論理はひどくハラワタを煮えくりさせられて、激高してしまった。

てめーらの論理を普通っていうオブラートに包んで偽装してんじゃねぇ。

スジ通さなくて腹立つならそう言えや、と。

普通って簡単な言葉で理論武装してんじゃなくて、正々堂々と気に食わないって、言えって。

 

 

 

昔から気づいていたのはうちの両親は欲望に忠実で、自分のリクエストは必ず直接に口に出して直球で投げつけてくるところ。

油断していたら3か月ぶりぐらいに急に激高した電話がかかってくる。完全におかしい。

 

自分の両親だし、これまで育ててもらった恩義もあるので、一概に捨てきれないけど、明らかに蒸気を逸している。

 

なかなか会いに来てくれなくてさびしいな、ならわかる。

 

それが、「何で来ないの、舐めてるの」って激高して電話してくるのはおかしい。

 

そもそも実家は都心の一等地にあって狭いうえに猫が二匹。しかも全館空調で猫の毛が飛び散るなかなので、アレルギーでるやろ。という。

はっきりいえば汚い家。

 

 

汚い場所を何よりも嫌う私に、それはひどすぎませんか。と。

その自覚もないのも罪ですねといってやりたい。

 

 

整っていない家は大嫌いだし。

人が来るのにきれいにしないメンタリティはもっていやだ。

権利を叫んで義務を果たしてない。

 

 

とはいえ、どんな言い方をしても親はもう60近くで変わらないのだろうし、友達も少ないのでこれから面倒を見ていかなければならないという、嫌な予感だけがしている。

 

親は呪いだ。

僕は祈る。

 

 

 

 

 

 

少子化と女性の活躍の話はレイヤーが違う

 少子化は止まらない

少子化の原因は婚姻数の減少であるという分析がある。つまり今の日本では、誰も結婚しないから子供が産まれていない。しかし別のデータを見ると2010年ごろから未婚率の上り幅は縮小しており「これまでの(非婚)傾向が止まったか、反転へ向かう兆候ではないか」とある。その傾向はヒアリングからも感じ取れる。今の30代に比べて、20代は圧倒的に結婚に対して焦っているのだ。

もしかして少子化問題って10年後には解決してるんじゃないの?非婚が進む30代と早婚志向な20代の溝 - トイアンナのぐだぐだ

 少子化って子供が増えない、人口が増えないって話だと思うんだけど、トイアンナさんともあろう人が、ミスリードしつつ香ばしい世代論に持っていってしまったので、うまいなーさすがだなーとおもって読んでいた。

なので気になって出生率を調べた。

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http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/81-1a2.pdf

2.07を超えると人口が増えるらしい。

合計特殊出生率 - Wikipedia

 

その点、50年ちかくずっと2を下回っている。ほんとに増えんのかこれ。無理やろ。

何が目的か

少子化と結婚とワークライフバランスと、これからのこの国のことを考えると、働いていない既婚子持ち女性をいかに仕事の場に引きずり出すのかっていう話が中心なのだろうと最近考えている。

経済を回すためには、いっぱい稼いでいっぱい使うようにしていきたいのかしらん。

 

そんで調べてったらこんなものにたどり着いた。

ダグラス・有沢の法則 - Wikipedia

 

うちの嫁のことか_| ̄|○

はやく社会復帰させねば。。

 

人になっていく

子供がそろそろ半年になる。

 

子供を見ていて一番感動するのは、身体性を獲得していくその過程にある。

昨日まで何もできなかった生き物がだんだんと見様見真似で人の動きになっていく、人になっていく。

 

彼女の側から見たら、そんなことは記憶にすら残っていないのだと思うけれど、いろいろな思いをこめて見つめてしまうのは、やはり親になったなと感じる。

 

子供に全てを賭ける気なんてさらさらないし、彼女は彼女の人生を歩んでいくと思うから、せめて可能性だけは無限大に確保してあげたいなと思っている。

 

痛みから何かを学ぶこともあるし、うまくいかないことから何かを学ぶこともある。彼女にはタフになってほしい。ひたすらにタフに。

 

「どーせ失敗したって死なねーからやるだけやったろうじゃん」って感じのカッコいい女の子になるといい。

 

あなたにはあなたの人生があるから、それを謳歌して。死ぬ瞬間まで。

就職して5年が経ち自意識が変わっていることを最近自覚する

社会人になって5年ほど経っていて、一番変わったのは自意識だった。

配属時はもうほんとに右も左もわからなくてわからないことが解らないお子ちゃまだったけれど、それももう二場所目になると通用しなくて自覚が生まれてきたということもあるのかもしれない。

 

新卒配属って周囲の目線が”あいつは新卒だ”とレッテルを張られているところがあって、自分の中ではあまり変わっているつもりはないのだけれど、周囲が自分を規定しているような感じなのかも。

 

周囲の人間にだけ評価されているのであれば、たぶん人は生きていけるし、認められていないのであれば多分、生きていけない。

大きな意識づけでご飯食べれる人たちもまだいるのかもしれないけど、ぼくはいつだって周囲の10人くらいだけでも一緒にやっていける仲間だったら、この世はハッピーだと思っている。

五年がたちました

社会人になって、生活環境が変わって、ブログどころじゃなくなってというところから更新できてなくて5年ほどたちました。
目まぐるしい時間を過ごしました。

ここ1か月ほど、ブログ再開したいなーと思い、はてブホッテントリよんでみたりなんかしておりました。


思えば、今の妻に出会って、付き合って、結婚して、異動して、新居で生活をして、子供を身ごもって、いまに至ります。

いろいろと書いておきたいことがたくさんある気がするのですが、いざとなると思い出せなくて、やっぱり思いついたときに何か書いておかないと気持ちは風化してしまうのです。

また書けるだけ、書いていきたいです。

kazukan.hateblo.jp

流行ネタを使ったところで、やっぱりフィンチャ―作品でしかなかった―――『ソーシャル・ネットワーク』

 日本メディアでの宣伝が「SNSってあるよね。若い人は知ってるけど、いろいろ社会問題も引き起こしてるんだよ!そんなネットワークでの新しい広がりを題材にした映画だから、知らない人は見た方が良いよ!知らないと時代に乗り遅れるよ!」ってノリなので、ビジネスサクセスストーリーなのかなぁ。プロジェクトXみたいなもんかぁ。って見に行ったら、期待を大きく裏切られた。youtubeを世間に知らしめた、尖閣諸島ビデオと同じノリで宣伝しちゃあかんぜ・・・


 どこをどう見ても、デイヴィッド・フィンチャ―の作品だったのです。 「ファイト・クラブ」しか見たことないけど、思い出すと未だに衝撃的で刺激的な映画です。 


 そう、別にこの映画、ドキュメンタリーでもなんでもなかったと思った方が正しい。だってさ、創業者のマークのインタビュー見たら、こんなんだもん。 作中とイメージ違ぇ・・・


 主人公に感情移入しづらいから、見づらい。なので評価分かれる。*1
 天才的な主人公マークの私怨ともいえる行動原理。
 社交的で友人も多い共同創業者エドゥアルドは、マークの意思にそぐわないからという理由で切られる。
 大学の社交界にいる双子の兄弟は踏み台にされる。
 マークはナップスターのショーンから影響を受け、ビジネス拡大のための意思を強くする。


 主人公の感情が非常に見えづらく、ビジネスのことしか目にないのか、私怨だけで動いているのか、判断が最後までつかないように作られている。それがこの映画の深いところ。面白いところ。


 個人的に一番楽しかったのは、ナップスター創業者のショーン。ジャスティン・ティンバーレイクが演じてる、この役が一番しびれた。パラノイアで。

*1:ちなみに字幕版は会話量の多さに辟易するらしいです。押井守好きとしては理解できる範囲でしたけどw