りとすら

書きたいことがあんまりありません

留保のない生の肯定を

仕事中にケータイの通知が出ていたので見たら、どこかのドラマで見かけた棒状のものの写真が送られてきた。
その青い線の示す意味がわかりかねたので、写真に映りこんだ商品名を検索し、その意味を理解した。

妻は混乱しているようだ。

一人目の時に癒着胎盤を起こし、その止まらない流血から緊急搬送された妻は「寒い。寒い。」と消え入るような声で訴えていた。
今でもあの冷たい廊下と、どこか浮ついた深夜警備員たちの雑談が、なにか非現実的に思えて、妙な記憶として脳にこびりついている。

14リットル。

その輸血量は、成人の全身血液三人分に該当した。

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二人目を望むか。

自分の生が脅かされる可能性を否定出来ないまま、かと言って二人目を迎えた賑やかな家族としての将来を望むか、曖昧な結論のまま、なかば成り行き任せで来てしまった。

積極的には望まないが、否定するものでもない。
その曖昧な態度のツケか。


「あなたならどう思う?」
「自分なら、死んでも自分は困らないから産むかな。残された人達には悪いけど、呪いのように自分は残り続けるし。死んで困るのは自分じゃなくて周りだと思う」
「そう。私はまだ子どもの成長を見届けたいよ」
「そうだね」


産んで死ぬ後悔と、止めてしまう後悔と。

果たして、どちらが留保のない生の肯定なのだろうか。
答えは見つからない。