りとすら

書きたいことがあんまりありません

遠いのに近いという錯覚

「あなたの事は今でも好きです」
3年間付き合った女性は、そうメールに書いていた。
「でもわたしたちはきっと1000回もメールをやりとりして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした」
―――『秒速5センチメートル

そこで、mixi日記である。
(中略)
別に、それがあったほうがいいとかは思わないのだけど、人との別れに泣くということは、これからほとんどないだろう。
本当に、人と人が別れようと思ったら、物理的なことじゃなくて、もっと抽象的に別れていかなくてはならなくなる。

 安易に接続している感覚があって、簡単にコミュニケーション欲求が充足させられてしまう気がする。
 高度でタフな現実でのネゴシエーションが必要なんじゃなくて、安易に自分だけが感じている一方的な感情をあたかも双方向のダイアログとして知覚する状況。モノローグのダイアログ誤認とでも言うような。


 周りのことを考えて反射的にコメントを返していくだけで、現実でのつながりはどうなんだろうか。一対一でコミュニケーション体系が収束するのではなく、交わしている会話相手じゃなくて周りを気にしている感覚。


 本当に同時に多くの人と一定の関係を保ち続けられることってリソース裂くのもったいない気がするんだけど、どうなんだろ?と思いながら、今年も年賀状を作っている自分がいる。