りとすら

書きたいことがあんまりありません

卒業

 朝早く起きたから今日は余裕だろうなと思いつつもわざわざそんなに気合入れていくこともないだろうなと思ってけっこー時間ぎりぎりに家を出て電車に乗って新宿を過ぎたころ、やっぱ春だし卒業式とか形骸化してるから自分で自分の事を卒業させてやろうと変な下心を起こして四谷から日本武道館まで街を東京を感じながらお散歩することにした。
 散歩していると四谷から麹町を通って皇居の内堀通りまで出る通りのなかにもけっこードラマ性があって街にはそれぞれの街の特色がよく出ていたのでなんだかやっぱり人間のつくるものは人間くさくていいなとコンクリのビル群を見ながらでも感じられたのは自分の卒業とは関係のないことだったけれど、たぶん東京を離れるだろう僕にとっては東京を実感させる大切な儀式だった。


 予想通りというか期待しない状況ではやはり遅刻してしまうもので所詮卒業式なんか形骸化した通過儀礼としか感じていないぼくは遅刻した上で早退することにした。
 卒業式の間に僕が考えていたことは晴れ着を着た女の子たちの感覚についてだった。それは形骸化した式を彼女たちなりに社会コードにのっとって、朝から着付けに行って友達と空間を時間を共有しようという儚い作法なのだろう。


 やはり学生時代を締めくくるのは昼食をお世話になった御茶ノ水のバンビですごさなければいけないと思い昼食を摂りに御茶ノ水まで歩いて向かった。
 やはり、学生時代と言えば昼食なのだ何につけても食をともにした友との思い出なのだそれが僕にとっての卒業式なのだぼくは自分にとっての矮小な感傷に浸る卒業式を送りたいのだ。


 キャンプファイヤーの最後の残り火のような時間が。


 製本した卒業論文を受け取ったらその物理的な重みを実感してなるほどこれが卒業の重みなのかと感じながらゼミの最後のパーティに渋谷に向かった。
 卒業の重みがいままで遊んできたぼくにとって一つの確かな区切りとして迫ってきたのは後輩という明確なメルクマールが現在しぼくの気分を準備してくれたせいもあってのことだったけれど、やはり皆がこの飲み会の場を最後にそれぞれの人生を歩み始めるという陳腐なそれでいてそうとしか表現しようのない人生の波を感じたからだった。
 人生には波があってその区切りでぼくは決定をしていることに気づくんだけれどそれは決定をした時には気づいていなくていつもあとから自分の決定に気づかされることになるのは自分が決定したつもりがないからに他ならないんだけれども、どうしようもなく人生というのは走りながら自分の走りを確認しなきゃならないという困難な作業を任されているのだと思う。


 朝五時の飲み会の席の光景こそぼくが学生時代にしてきたことたちの反映に見えて、何でおれはこんなに感傷に浸っているのだ気持ちが悪いなと思った。