りとすら

書きたいことがあんまりありません

狂気と正気の境界線―――『フーコーコレクション1』

フーコー・コレクション〈1〉狂気・理性 (ちくま学芸文庫)

フーコー・コレクション〈1〉狂気・理性 (ちくま学芸文庫)

 狂気って歴史的にこうやって正気から切り分けられていったのだよー。というありがたいお話。と文学に関する思索がぎゅっと詰まった一冊。
 ぶっちゃけ、読むのに時間がかかり過ぎて、前半部分の内容を忘れてしまったよ。


 多種多様にわたる内容。カオスに満ち溢れた思索の奔流の渦に巻き込まれていく感覚をもって僕に迫ってきた。

悲劇的表現は、実存の垂直方向に位置づけられるという意味において、他のすべての表現に対する絶対的特権性をそれに与える、存在論的な根拠を持っている。それに対し、他の表現形式は、むしろ人間的な諸変容であると言える。
(113頁より)

 これなんか、ケータイ小説の説明文として使えそうな強度。


 正気とかマトモとか、社会正義性には真理なんてない。その時代ごとの移り変わりや人々の要請や圧政者の思惑によって、右往左往しているのが実態。
 だから「小女子焼き殺す事件」は今の人たちにとって「異常」だと思われているし(ってこれは違う話か。警察権力の話だもんな。
 精神科医がいなけりゃ精神病患者はいない。
 だからといって、僕は精神障害の人が犯した重大犯罪を、「責任能力がなかった」といって解放する風潮には異論を挿みたくなる。


 治療のために隔離されていったのか、隔離するために研究していったのか。
 社会の裏をキチンと見据えて、きちんと考える。そういうこと。