りとすら

書きたいことがあんまりありません

イジメだけに関しては結論でちゃった

「高偏差値校はいじめが少ない」という話も、この「コミュニケーションの重要性」が関係しているのかも知れない。高偏差値校では低偏差値校よりも学力が重視され、相対的にコミュニケーション能力の政治的重要性が低くなる、という相関関係があるのかも。

いじめは、コミュニケーションの暗黒面そのものなので、コミュニケーションの重要性が下がるほど、いじめの危険性も下がる。極論をいえば、お互いにコミュニケーションをまったく取らなければ、いじめは絶対に発生しない。

 良いエントリですね。その通りです。政治的重要性の相対的弱体化。イジメだけを問題視するならば、コミュニティそのものを崩壊させれば話は簡単です。
 でもそんなアメリカナイズされた学校制度でぬくぬくと育った子供たちが、日系企業に務められるとは思えません。「空気を読む」なんて唾棄すべき慣習ではありますが、それをできない人間を簡単に排斥しようとする自分がいます。


 イジメとイジリの二つの間にある大きな断絶には、暴力の介在っていうのが大きなファクターであるような気がしています。
 空気が読めないことは「いじめられるやつにも悪いトコはある」って理屈にならざるを得ないし、僕はそれを否定する気はありません。(実際、ぼくもよく弄られていました。だからいま丸くなっているし)
 イジられ方や、自分の面白さの出し方を知らない子ってのは面白くない。だから少しでも良いから空気の読み方を学習するためにも弄られた方がいいだろうと、思います。


 「虐められたから強くなれた」という理屈に対して生理的でプリミティブな反応として

だって強くなるって、なにかが得られるってことですか?
イジメで得られるものって、イジメじゃないと得られないものなんですか?
性格悪いんなら、正々堂々とそう言えよ!!
私は、イジメが自分を強くしたなんて死んでも言いたくないね。
3歳児神話と同じくらい腹がたつ思考ですね。

 という主張もわかるけど、それでもやっぱり人間は今の自分を肯定しなければ次に進めないと思うので、僕は「弄られたことをバネにがんばるよ」という主張の方に傾きます。


 進学校に行ったらイジメは少なくなるけど、それに反比例するようにイジリは増えるから、それを糧にして生きて行ってほしいと思う。それが実社会の縮図ですから。暴力はなくても陰湿なイジリは存在している。
 だからぼくは「子供は進学校に進ませるべき」だと主張を展開します。


 「空気の読めない子だからこそ、進学校」っていう理屈への反論お待ちいたします。*1

*1:進学校だとイジリも面白くなくなると弄らなくなる。イジられてナンボと人間が気づく日はそう遠くない