りとすら

書きたいことがあんまりありません

塾講師がいつも考えていること

 塾では毎日が戦場。そのなかで塾講師が流れに翻弄されないように高次で考えていることはひとつだけで、目の前の子どもを良い人生に導くことを考えている。
 外側から見れば、塾講師風情が何を調子に乗ったことを言っているんだと言われても仕様がないけれど、そういったことに自分の動機付けを持ってこないと、この仕事は続けられない。自分以外の人が努力して何かを成し遂げる姿。
 この奇跡を見たいがために仕事を続けられる。


 「ちょっと追加で授業を取りたいので」というコンビニ感覚の親御さんは確かに存在するけれど、所詮こちらも人の子なのでそんなものは定型的な「質問に対して解き方を教える」というサービスしか提供できないし、提供する気もない。コンビニでも常連さんとのやり取りは存在するけれど、塾はもっと長期のスパンでの関係性を築いていかないといけない。要は親御さんが完璧に塾任せにしてしまっている状況ではダメなのだ。
 積極的な親御さんからの全幅の信頼があってこそ、こちらも応じようという気になる。


 生徒のやる気を見たいのだ、言ってしまえば。
 生徒が努力しているからこそ、こちらもそれをサポートしようと思うのだ。


 出来る子だから見てあげたいってワケじゃなくて、出来る子であれば努力しているし、やってきてほしい課題を全てクリアして、自分で課題を発見/認識しているからこそ、こちらが支援する。
 本質的には本人が努力するかどうかという問題なのに関わらず、それを見失ってしまっている生徒、親御さんが多すぎることが問題なのだ。授業のコマ数を増やせばいいわけなんかじゃ決してない。


 効率的な学習のサポートと効率的な動機付け、その両面から塾を活用しなければ、子供の学力は伸びやしない。長期的なアプローチによって人間対人間として接することができて初めて、生徒の成長が見えてくる。わからない所だけを聞いて伸びる人間がいたら赤ペン先生でも中学への算数でも勝手にやってくれ。でもほとんどの人間はそれができないことは日の目を見るより明らか。


 やる気を出すためにどうしたらいいのか、それを一緒に考えていきたい。外部環境を整えていきたい。生徒には、努力することの困難さと大切さを、勉強という泥くさい仕事を通じて学んでいってほしいのだ。
 親には子供の人生を背負う責任がある。それを真剣に考えろ。そうでない親には、子供に生半可に受験勉強なんてさせないでいい。塾としても迷惑だし、こどもが可哀想。ここは保育園ではない。代わりに塾に入りたい子供はいくらでもいるのだから、こちらとして困ることはないのだ。



 また塾の機能として忘れてはいけないのが、それの持つ効率的な情報収集機能。
 塾の関係者が多ければ多いほどナレッジが蓄積されていき、あとの生徒たちはその財産を利用することができる。この機能は志望校のベストマッチを引き出す。同じ偏差値群でも生徒の性格によってマッチングは異なる。
 多くの子ども、人間に接してきた大人が、そのタイプの人間にマッチする人生、楽しい将来、面白い未来を予想できる。それが塾の現場には溢れている。


 子供の全体性を考えたい。でなければこんな仕事やってられへんわ。