りとすら

書きたいことがあんまりありません

モテない男

 思えばもうあの彼女と別れてから二年くらい経つくせにまったく新しい人が現れる様子もなくてだんだんとぼくのなかに不安の渦が巻き起こってきていることに気づいてはいたんだけれど、だからってそれに対して取れるアクションもないしなんとかなるだろうと思っていたんだけれど相反する感情が自分のなかに巣くっていることに気づいて恐ろしくなってしまった。
 2年も前のことなんて今じゃ幻想か夢か幻かなにかでしかなくて僕はそれを自分の過去として受け入れていたつもりだったけれど結局のところ過ぎ去ってしまった過去の一部分でしかなくなってしまっていたのだ。矮小化。過去の彼女がいまのぼくにとって何か意味をもたらしているのかといえばまったく意味はなくて小説や映画のように今でも思い出される美化された思い出になるには相手が病死でもしてなくちゃだめでそういった条件も過去の矮小化をもたらす原因になってしまうのかもしれない。


 つまり僕はモテないのだ。


 僕は特別に彼女が欲しいという感情を持っていないところがあって出会いってのはそこらじゅうに転がっているから別に努力する必要なんてないんじゃないかとタカを括っている。調子に乗っている。驕り。高ぶり。
 異性に好かれる条件とかいま置かれている状況を考えてみても根本的な問題をつきつめて総合的に全体的に評価してしまうならば、僕はモテないのだ。


 確かに環境要因を考えてみれば出会う機会を増やす努力をしていないし内面要因を考えてみればマメさや優しさが足りないのだ。総合的に判断しても客観的に判断してもモテる要素がないのだ。すべての女性にモテたいだなんて調子にのっているわけではなくて特定の女性に対してもモテるわけでもないから、すべての女性に好かれることができないのかもしれないと思ってしまう。女性に求められる男性の要素を考えてみるとオールマイティーで良い人優しい人が一番つぶしが効くような気がするけれどモテないのでそれも正解なのかどうかすら判断がつきかねる。努力する気も起きないのだからタチが悪いし異性に対するやる気そのものがそがれ切ってしまっている。


 ルサンチマンとしてモテる男が羨ましい恨めしいというのではなくてただ自分の精神状態の歪み荒みっぷりに唖然としている次第でこの後の自分の欲望というものがきちんと駆動されていくのかどうかが怖くてそれは社会人になってから抱える病の前兆じゃないかと思ってしまうのだ。
 一人で朽ちていく恐怖。