りとすら

書きたいことがあんまりありません

僕は音の住人なので、書き言葉は苦手

相手の言った言葉が、1度通り抜けて、反芻するように、2度目が再生されます。2度目の再生で言葉の意味を理解します。2度目が再生されているあいだにも、相手は次の言葉を喋っているので、どうしてもワンテンポずれてしまいます。「言葉の音」を「言葉の意味」に変換する行為が苦手なのです。

 ぼくはどちらかというと音の住人なので、どちらかというと書き言葉に対する苦手意識が強い。
 これは意外に思われるかもしれない。


 リアルで会っている状況においては音の情報だけでなくその他のペースを自分なりにコントロールすることができるから、音の住人っていうのはその意味の全体性において。


 引用文に戻って考えてみると。
 相手の入った言葉は、僕の場合も二度目が、場合によると三度目も再生される。再生される中で、自分の言語野の中の引き出しと照らし合わせて、次の論理を導き出し、話をしながら論理を構成していく。
 もちろん、最初から答えを用意しているわけではなくて、たいていのモノは引き出しの中にある記憶のアレンジでしかない。
 それくらい僕の思考は音と密接につながっているし、考え事をするときも声に出して言ってみると、書き言葉とは違った感覚を得ることができる。


 ワンテンポのズレが発生してしまうのは、相手の会話のキャッチボールがあまりにも無茶なコースだったりして、そう言うときは「言い方のテンション」や「喋り方のトーン」で誤魔化しておどけたりしてみるけど、論理的な話をしているときは、そういうことにはならない/したくない。
 どうやって自分の音思考のペースに相手を巻き込んでいくのかということをスキルとして発揮していきたいので、相手の言葉の反芻や解釈などを言葉にして言ってみて相手との距離感を測る。


 もちろんそのときの精神状況によっても、自分の思考ペースは変化するので、何をコントロール下におくべきなのかは状況判断。
 


 逆に書き言葉になると、読み手のペース配分っていうのが作者のコントロール下にあるのかどうかを考えると、やっぱりコントロールには限界があって、どういう読み方をされるのかわからないので信用できない/したくない。


 コントロール力を考える上で、音を介した情報交換の方が、ぼくは好きだ。
 それと・・・論理性というものが一般人に対して通用しないことの方が多くて、話の仕方だったりの他の情報の方が説得力を持っているから、書き言葉の使い勝手が悪いことも僕の趣向の要因になっている。