りとすら

書きたいことがあんまりありません

洗練された様式美としてのマナー ずるく生きるための

 いまだに思い出す、うちに来た営業の話。


 いつもどおり居留守を使って、二階の窓からのぞき見した。じっと見ていると、いないと判断したのか帰ろうと手提げを持ち上げた。次の瞬間、彼は頭を下げた。深々と。門柱に向かって、誰もいないはずなのに。


 それを見た僕は、ただただショックを受けた。
 洗練された様式美としてのマナーの威力を目の当たりにし、生まれて初めてマナーというものの実態を見た気がした。



 それまでの僕は、「どうせマナー(笑)なんて、マナー講師が言ってるだけじゃん」と思っていた。
 しかし、人間が心の理論を身につけた瞬間からマナーには魂が宿ったのかもしれないな、と。
 「しょせん社交辞令だろう」と思いつつも、その予想を超えた礼儀を見せつけられると純粋に従ってしまいたくなる。そこには論理性とかを抜きにした礼儀と仁義がある。それもとてつもなく原初的な。
 土下座はここぞというときにしてこそ意味がある。



 ルノワールでバイトをし始めてから、頭でわかっていたものを現実化させつつある。もっと心の理論を逆手に取った狡さを、老獪としての振る舞いを身につけて生きたい。