りとすら

書きたいことがあんまりありません

観ているだけ

 なんか感覚が遅れている。


 朝起きた時からなんだか調子悪いなどうなってるいるんだろうこれと思っていたけれど朝ごはんをつくっているあいだも電車に乗っている間も霧雨の中を歩いている間も学校についてもなにをしていても一日中感覚が知覚が宙に浮いていたことを表現してみると、あなんか俺が勝手に自動でオートで動いていないかな勝手に作業をこなしているぞ自由意思なんてものはないのかもしれないなと感じざるを得ない感覚とでもいうべきなのかもしれない感じだよ。あわわ。


 とにかく一日の自分が知覚している風景がいつでも見ている一日のような感覚がずっとしてしまっていて、デジャブというわけではないんだけど、高熱を出した時の朦朧とした感覚でいたといえば正しいのかもしれない。
 最近取り戻しつつある日常感覚は、また違った狂った日常感覚の「人生は作業だ」という諦観に満ち溢れた日常感覚に引き戻しているだけなのかもしれなくて、たいていすべてのことがどうでもいいし、どうでもよくない。判断をまったくしていない状況がいまだと思いきや、新しくバイトを始めようだとか、映画を観にいこうだとか、いろいろな判断は下しているので、自分が何を考えているのかは、さらに混迷を極めることになる。