りとすら

書きたいことがあんまりありません

作業がぼくを正常に引き戻す

 真正のドMと呼ばれても一向に構わない。


 なんだか就職活動は、ぼくをおもったよりも精神衰弱にかからせてしまったみたいで、長引く4月病がぼくのからだとこころを蝕んでいった。それはこんな毎日だった。

 夜は虚ろな目をしてプレステのコントローラーをいじり、30分すると突然電源を消してパソコンに向かったりを繰り返す。気づいたらカラスが鳴き始めたので、時計をみると5時で。「眠くないけど、親が起きてくるだろうからそろそろ寝るべきだろうか」と言って寝床に着いた。
 次の日はなんだか疲れていたので11時に寝付くことができたけれど、悪夢にうなされて3時に目を覚ました。しかたないので朝までパソコンとテレビにお世話になっていた。

 ときどき(だいたい2年に1か月ほど)エネルギーが切れたように精神衰弱にかかってしまう時があって、最近でこそ外ではこのムラを出さないように最低限を取り繕うことができているかもしれないけど、泥酔すると素が出てしまったりする。
 こういった状況のときにどう対処するかと言えば、無理やりにでも「日常的な作業」を詰め込むことによって、「仕事をする感覚を取り戻すこと」に尽きる。
 それは友達と遊びに行くのでもいいし、学校の授業に出るんでもいいし、とにかく論理的スキル・社交的スキルを必要とする場に自分を持っていくという「覚悟」を持つことで可能になる。その根源は自分に対する自信とくだらねぇプライドだ。


 ぼくの場合、精神衰弱を回復させるのは何といっても「日常」という名の暴力。それはささくれ立ったこころをブルドーザーのように均一に均してくれる。違う場面、違う場所での振る舞い方を思い出すことによって、自分を構成するペルソナを思い出す作業として機能するからだ。
 「ぼくはこういう人間だ」という硬直を回避するための作業なんじゃないかな。自分の構成要素を限りなくわからなく誤魔化しておくことによって、逆説的に正常な自分が取り戻されるんじゃないかという。



 作業を積み上げることによって正常を回復しようとする自分がわりと好きでこれからもこうありたいと思うのはなんだかんだ自己中心的な感覚を持ったままでいたい調子に乗っていたいと思っているからで常に自信家で自分の未来に期待を抱いている若者でいたいと思うしぼくの生きる意味はぼくの成長を見届けたいからで精神衰弱の対処法を若いうちから身につけておくことがこのストレスフルな社会を生き抜く俺専用プロトコルとして重要なんだよてめーらも考えてみろよという投げかけ!