りとすら

書きたいことがあんまりありません

「愛」なんて本当はどうでもいい

もう少し愛についてうまく話せるときがきたら
―――スガシカオ『愛について』

 「恋愛を絶対の価値観とする」だとか、「キリスト的なモノに見なすしかないじゃん」っていう言説は果たして有効なのか考えていた。


 恋人とのプロセスを確認すると、
 出会い→恋→付き合う(落とす、事実上「付き合う」状態にさせる)→付き合い続ける→将来のことを見渡せるであろう関係、状態に達する→確信を得る→結婚する→夫婦として生活する→子供を作る(もしくは作らない、作れない)→お互いに年を重ねる→老いていく→死について考える
 って感じ?


 このプロセスの中で恋愛対象について「君は世界初の肉眼で確認できる愛。地上で唯一出会える神様」*1と言い切れる、その理由がまったく見えてこない。
 明らかに論理が飛躍してしまう理由は、その他に使いやすい中心的言論を知らないからかもしれないけれど。


 もうすこし政治的に外堀を埋めていくことで恋愛が成立する気がしていて、はたしてそんな政治力を働かせておいて成立させた恋愛に「運命」を感じたりすることができるのかということが謎でならない。手練手管をさんざん使っておいた揚句に、「愛でしか救われない」と言うことは矛盾をはらんでいるような気がしていて。


 たとえば、彼女の育ってきた環境だとか、親との関係だとか、友達の前での振る舞い方とかを確認して、こういうタイプの人間の方が好みなんだろうかと試行錯誤している瞬間がある。環境要因なんて運命とは呼べないし、いくらでも自分から動かせていける可塑的な要因。彼女に対してパフォーマンスをしているんだよね、どこかで。

結論

 恋愛だけじゃなく、その他に「人を生かしている何か」を探さなくては・見つけ出さなくてはいけない。
 なんで生きてるんだろうな俺らは。本当はそんなんどうでもいいんだけどさ。

生きていくために何をすればいいかなんて
ぼくの父さんだってきっとわかっちゃいないのに
―――スガシカオヒットチャートをかけぬけろ

*1:RADWIMPS『有心論』