りとすら

書きたいことがあんまりありません

考え続けることの難しさ―――『大いなる陰謀』

あらすじ:
未来の大統領とも目される上院議員のアーヴィング(トム・クルーズ)は、テレビジャーナリストのロス(メリル・ストリープ)に最新の戦略についての情報をリークする。そのころ、大学教授マレー(ロバート・レッドフォード)の教え子(デレク・ルークマイケル・ペーニャ)は、兵士としてアフガニスタンの雪山でその戦略のひとつに携わっていた。アフガニスタンで高地占領作戦が開始された頃、アーネストとアーリアンが学んだカリフォルニア大学では、2人の恩師である歴史学のマレー教授が、ひとりの学生をオフィスに呼び、人生に対する目を開かせようと試みていた。学生の名は、トッド(アンドリュー・ガーフィールド)。以前、歴史学の授業中に白熱した議論を呼び起こしたことのある彼に、マレー教授は、豊かな才能と将来性を見出していたが、本人はそれを自覚せず、最近は授業の欠席が続いていた。
―――大いなる陰謀(原題:Lions for Lambs)

 原題「Lions for Lambs」を「大いなる陰謀」と訳し、ハリウッド流のサスペンスに加工して輸入せざるを得なかった配給会社の都合が陰謀だろうと、見ている最中に思わざるを得なかった。
 とても良い映画で、期待を上回るパフォーマンスを見せてくれた。
 とりあえず、まず予告編を見てほしい。 この映画の視点は3つで移動する。
 それぞれの立場、それぞれの人生を抱えながらということが、この映画を奥深いものにしている。

政治

 マスコミに対して「テロへの戦争に勝ちたいのか?『はい』か『いいえ』か?これは究極の選択なんだ」というアーヴィングは、はたして本音からその言葉を言っているのか。次の大統領選挙で勝ちたいがためだけに、プロパガンダとして言っているのか。それは未だにわからない。
 僕はアメリカのことがよくわからないけれども、政治家がやってきたことはその歴史として常に「アメリカという国を守ること」という大義あるものだったみたい。いまでも政治家は言う「テロに屈してはならない」と。「テロに屈したら、アメリカが蹂躙されることは目に見えてあきらか」という神話を信じている。

 「人はなんのために戦うのか、そして人はなんのために死ぬのか」

マスコミ

 911が起こったときには、あんなにはやし立てたマスコミの倫理はどこへ行ってしまったのか。「勝ち続けることでしか今のアメリカはないんだぞ」と、アーヴィングに突きつけられたロス。


 アメリカの正義を信じて、アーヴィングの言う通りの「国民を鼓舞する報道」をなすべきではないと、テレビ局に戻った彼女は取り乱したように言う。


 「これはプロパガンダよ!」とヒステリックに。


 アメリカはいままで「正義」によって成り立ってきたけれど、「正義(=Justice)」を通し続けることの愚かしさについて、もう気づいてしまっている以上同じ過ちを繰り返すことはできない。
 しかし突きつけられる過去、疲れたロスがタクシーから見る景色に広がる、戦死者の墓標。正義を語ることについて考えること。考えることそのものが忘れ去られているのかもしれない。

 「人はなんのために戦うのか、そして人はなんのために死ぬのか」

大学

 視聴者が感情移入してしまうのは、トッドの視点だ。「無関心でいることの愚かさ」について、考えることがないという問題について、説話の形式によって気付かされていく。赤いビンテージのアロハにパーカーを合わせ、ハーフパンツを穿き、にやけた口もとのトッドは、いかにも典型的な大学生像だ。
 授業の初めのころは世界に対して問題意識を持っていたけれど、そんなものの価値は現実という圧倒的プレッシャーに押しつぶされていく。


 「あいつらは『大統領選に出ません』と言って、選挙に出る気なんだ!」とトッドは指摘する。


 若いころ持っていた使命感はいつの間にか消え失せ、女の子との遊びに精を出すこと。別に悪いことじゃないんだと思うんだけど、問題意識を完全に失ってしまうのは、また違った問題じゃないかと、マレー教授は指摘する。

 「人はなんのために戦うのか、そして人はなんのために死ぬのか」

感想

 どの立場の思惑も理解できるからこそ、上映中に一時停止したくなったほどだった。「ちょっと待って、いまいいこと言った気がする!」っていうシーンの続出。
 僕は特に大学生のトッドの立場をすごく理解できて、「あー現代的だなー。この冷め方」と思った。


 中心的信条だとかがないから愛国心だとかについて語ることが難しいし、各人の立場がずれてくる。それが民主主義の良さなのかもしれないけど、ヌルイ時代だと言われても仕方ない。へ。どーせゆとり世代ですから。


 マナーの本質を見失っていながらも、個別具体的な「Lifehack」的ビジネス「プロトコル」ばかり上達していくサラリーマン。名刺の渡し方からはじまり、タクシーの上座だとか。
 大学生にしてみれば、合コンのテクニックだとか、女を落とす方法だとか、サークルの飲み会を盛り上げる方法だとか。「リア充」になるためにはうんぬんかんぬん。
 そんなの、身につけることはいくらでもできるのかもしれない。


 その前に、「人はなんのために戦うのか、そして人はなんのために死ぬのか」という前提について考えることの大切さについて、改めて気付かせてくれた。全国の大学3、4年に見てほしいと思う。

「これは、何割かの観客の人生を変えるかもしれない映画だ」―トム・クルーズ