りとすら

書きたいことがあんまりありません

自由からの逃走

 「自分らしく」「自分のやりたいことを」と就職サイトでは書き立てる。僕はその答えがないことを証明したつもりです。

人が生きていく上での信念だとか信条だとかいったものは、生まれてきてから社会的に身につけていくものなんだろうけど、どうも大人になりきれていない僕は、「正当性ある使命感」みたいなものを持てない。
―――正当性の担保 - りとすら

だから所詮「妄想的正当性」にしかすぎないものを仮構する形でしか就職活動を継続することはできなくなる。そのためのツールとして「自己分析」という手段が「物語消費」されているのが今の就職活動市場にすぎない。
―――就職活動について書きたいのは山々だけど結論が出ているので書けない - りとすら

 で、今度はその「小さな物語」(「全ての人にやりたいことがあるという幻想」)はどこから語られているのか、犯人捜しをしたいと思った。


 「就職活動」も資本主義システムの一部にしかすぎない*1なら、それはどういった形で消費されているのかという疑問。
 そこには3つの要素がからんでいるんじゃないだろうか。「自分の会社に内定する」という小さな物語を提供するプロデューサーとして「人事部」がいて、消費者(コンシューマー)として「新卒」がいる。その間におぼろげに立ち上ってくる媒介者(広告代理店)としての「就職サイト」。


 はっきり言って「就職サイト」が一番の功罪者なんじゃないかと睨んでいる。この2009年卒市場においてはウェブの必要度は間違いなく100パーセントで、その媒介者としてのサイトが、情報の過熱化を引き起こしているといるんじゃないのか。もちろんそこには、周りを取り巻く就職本マーケットの存在も大きいことは言うまでもない。


 「自分のやりたいこと」を考えると「自分らしさ」を探す「自分探し」に行き着くという連想にそう無理はないだろう。しかし、そんなもんは犬の餌だしごみ箱にでも放り込んでやればいい。なんという「スイーツ(笑)」だから活動において本当に大事なのは「やりたいこと」とか「自分らしさ」なんかじゃなく、何をやるのが向いているのか得意な分野を生かす道が正しい。好きなものを得意にするのは難しいが、得意なものを好きにするのは容易いということなんだろうね。
 それが内定後の世界を想像させるし、企業の中の人も本心からはそれを望んでいるんじゃないだろうか。*2企業にとって欲しいのは使える人材(=成績を出す人材)であって、その人がやりたいことやっていようといまいとそんなことは関係ない。これは明らかな事実なんじゃないか。*3


 自分の歴史を振り返るのは、自分の意識・無意識にかかわらず今までの自分は人生の中でどういった職業的スキルを身につけてきて、自分が何が得意なのか確認する作業であって、決して「自分のしたいこと」だとかいった「自分探し」をすることが必要なわけじゃない。「自分探し」に陥ってしまったが最後、資本主義的化け物に食い殺されることになる。それはゼミでのコネ入社がなくなり就職活動がマーケットとして機能しはじめたころ、そのコロシアムの地下で飼育されはじめた化け物で、そいつは僕らが油断した瞬間に噛みつき、ぼくらの自立した神経は麻痺してしまうことになる。

*1:社会学で「就業体系」なんかじゃなくて「新卒の就職活動」について研究した文献とかないのかな。面白そうなんだけど

*2:人事が正確に会社の代理人だと考えることにはまだ抵抗があると言わざるを得ない。人事には人事のミッションがある

*3:新卒採用という人事システムはまだまだ多くの誤解とミスを孕んでいるだろうけど。たとえばあまりに使えそうな人材だったら「自分より昇進早かったら嫌だな」と思わせてしまう