りとすら

書きたいことがあんまりありません

「好きな理由をみつけるのは難しいけど、嫌いな理由を見つけるのは簡単」って!

 かなり使い古された感じがある安っぽいセリフでこういうのがある。

「好きな理由をみつけるのは難しいけど、嫌いな理由を見つけるのは簡単なんだよね」

 就職でも実は同じことが言えるんじゃないかと。


 僕は計画性をもって行動していないと、現場ではなんでもかんでも行動力で突破してしまおうと頭をいらない方向にフル回転させてしまうという悪い癖をもってる。だからさー、就職こそはミスできないじゃん。で、いまだに自己分析のレベルでとどまっているのが実情ですわ。


 好きなものとか好きなことを思い出す行為が果たして現在、未来の自分のことを考える材料として適切なのかどうかは、かなり疑わしいところだなって思うんだよね。過去と未来をリンクさせる必然性がよくわからんし。
 じゃあ、今なにしたいですかって言われたらそりゃあもっと困っちゃうんだけど、そういう現在のことを考えていかないと担保材料となる「志望動機」に安全性やら信頼性やらが欠如してしまうような気もするんだよね。


 んー、むずかす。


 で思いついたのが、「やりたくないこと」を考えよう。と。


 すべての人がこういった思考パターンじゃないから、クソまじめに「絶対内定」でもやってりゃいいと思うけど、心にダークな部分を秘めてたのにかかわらず、「長い大学の飼いならし生活で、そんなこと忘れちまったぜ」って人は鬱積した欝憤の塊を吐き出すことによって、エネルギーが生み出されてくるような気がする。中二病的な僕にはとってもぴったりかもね。

自然破壊だ何だと言っても、地球の”実”の部分は超巨大で、ぶ厚いマントルです。
その超巨大なマントルの上のほんの ほ〜んの薄皮の上に、ぞろぞろと暮らしているのが私達人間さん達です。
散々自然を破壊して戦争だ平和だ、勝手に人間が絶滅したとしても薄皮の部分の出来事です。
ほんの1ミリの出来事です。
人が居なくなろうと何が居なくなろうが、地球は相変わらず元気に50億年も生きていく事でしょう。
言ってる事は当たり前の事だけど、たまにデカイ声で誰かが言ってもいいだろう
―――柴田ヨクサルエアマスター

 やりたくねぇこと、ぜってーゆるせねえことばっか考えてたら、見えてくる。見えてきた。