りとすら

書きたいことがあんまりありません

就職活動について書きたいのは山々だけど結論が出ているので書けない

 議論は結論が出ていないから展開していくし駆動していく面白みがあるんだけど、就職活動については、もうすでに結論が見えているので特に書くべきことも見当たらない。
 結局、どのレベルで正当性を担保するのかという一点に尽きる。

 なんかそう、論理をぶち壊すぐらいの勢いの「妄信的な感情」ってのは普通ないよね。「ぼくはこれこれこういった人生を歩んできたのでこういった意図でこういった目的をもってこういった感情をもったのでいまここに僕がいて、だから僕はあなたのことが好きなんです」っていうような奴がいたら、気持ち悪いだけだって当たり前のことを、誰もつっこまずに世界が回ってると思うと、意味分かんないしね。
正当性の担保 - りとすら

 人間の抱える一番大きな欲望である「自己実現欲求」を叶えられるのは会社に勤めることなんかじゃ解消されえないだろう。これはごまかしようのない事実。


 だから所詮「妄想的正当性」にしかすぎないものを仮構する形でしか就職活動を継続することはできなくなる。そのためのツールとして「自己分析」*1という手段が「物語消費」*2されているのが今の就職活動市場にすぎない。「転職」物語の消費がしつくされてしまった今、市場価値として人材サービス業が虎視眈々と狭いパイを分け合っている。人材コンサルティング会社の自己分析形式のセミナーも盛況であることも知っている人も多いだろう。


 こんななかで、何に正当性を見いだせるのか。すべての就活生の首根っこをひっつかんで問いただしたい。


 「てめぇはなんでその会社入りたいんだよ」と。

*1:就職本コーナーの2、3割は自己分析の内容を含んでいる」

*2:大塚英志