りとすら

書きたいことがあんまりありません

自意識が手段を目的化させる

 でもずっとずっと前の僕は今よりもずっとずっとずっと人とのコミュニケーションが上手かった。どんな会話をしてたかは覚えてない。でも上手かった。僕に会話をできなくさせたのはどこのどいつだ。殺してヤンキーに生まれ変わらせてやる。そうさ、たぶん変えたのも僕だ。お前なんか柄にもなくヤンキーになっちまえば良かったんだ。正義感の強かった僕のことだから言うことだけはいっちょまえになってただろう。悔しいなあ。うざったい、って思ったときに「このばかやろう、うざいんだ」って何の逡巡もなく言えたならなあ。今の僕が誰かを傷つけているかもしれない可能性はあるが、逡巡がある分それは減っている。明日からでもうざったいやつ身勝手なやつに「このくそやろう、少しは考えろ」って言えればいいんだけど、嫌われるのがやだから言えない。大学デビューしたいなあ。でもやっぱ怖いよ。

―――少しずつ変わっていく僕の思考をお楽しみください

 なんか数年前の自分を彷彿とさせる文章だなぁ・・・(遠い眼

 そのことについてばかり考えてると、コミュニケーションっていう手段が目的に転嫁されていくから考えないほうがいい。

 「自分に素直に」とかいう言説に振り回される必要もないし、メタになることはあっても自分のことなんて自分が一番よくわかってないんだから、妙な肥大化した自意識を飼い続けていくのは良くない。


 そういった「友達論」から遠く離れて、何がしたいのか、何をどうしたいのか、はじめから目的を見つけなおしていく作業がこれからの人生設計で大切になる。がんばれ、少年。目的と手段を見誤るな。