りとすら

書きたいことがあんまりありません

「終わりなき日常を生きろ」じゃない。「しょうがないよね」だからこそさ!!

 シンジが、お母さんの何か、魂に一瞬だけ会うシーンがあるのね、エヴァンゲリオンの長いストーリーの中で。その時に、「あ、何だ、ただもう1度会いたかっただけだったんだ」って彼は言うの。彼自身そんな願いがあったなんてわかってなかったんだけど、結局そういうことを思ってたんだってその時に気づく。だから「そうそう。そんなもんだよね」みたいなね。

 願うことが生きること…だから。願いたくないのに願っちゃうし。ここだけはもうどうしようもなく、生き物の本質だと思うから。

 アスカみたいに、どれだけ自分で「もうだれも要らない」とか、「もう私は自立しててだれにも負けない!」って言ってても、結局はママに愛されたいだけ、みたいな。「この木はもう目の前にあるってことは認めなきゃいけねえのか」ぐらいの、根本的な願いっていうのは誰しもあるわけで、人の子である限りそうなわけで。ま、それは親じゃなくても、人は何かしらそういうものがあるわけだから、「しょうがないよね、それはねぇ」って思う。
―――宇多田ヒカルオフィシャルインタビュー掲載!

 「もう、いいんじゃないか」っていう視点。それがどうやって獲得できるかというと、やっぱり「時間」なのかっていう実感があって、たとえ僕が社交性がゼロで敵を作ってばっかいた中学・高校時代を送っていたとしても、まあ相手は特別な「悪」なんかではなくて、どこにでもありふれたとある背景にすぎなくて、彼を殺せばセカイが救われるわけでもないんだよね。

 ただ、ぼくは思うようになったのだ。もういいのではないか、と。もう自分をいためつけなくても許されるのではないか、と。時が傷を癒やしてくれた、ということなのだろうか。ぼくにはわからない。
―――傷口に包帯を。 - Something Orange

 id:kaienさんは相変わらず、人の心を動かす文章を書きますね。


 どうか、あなた自身を許してあげて下さい。 - Something Orangeには

 ○どうにもならないものは、どうにもならない。なるようにしかならない。許すっていうのは認めることじゃなくて、あきらめるってことだと思う。
 ○出口の無い迷路でさ迷っている人に、無理難題を押し付けているような印象。悪いけど私には、きれい事にしか聞こえない。
 ○パンが無いならケーキを食べればいいじゃない。んな無茶な。

 っていうブクマが残されていて、それは「終わりなき日常を生きろ」ってメッセージに誤読させてしまう元エントリにも問題があるとはあ思うんだけど、やっぱりそういうことがいいたいんじゃなくて「前向きな諦め」が大切だということが言いたいんじゃないのかな。


 でも、やっぱ「前向きな諦め」*1って書かれると、「それってトドメさしてるだけじゃね」って受け取られてしまうから、結局のところ言葉はつたわらない。




 どうにか幸福になりたいって目的論を振りかざすと日々の生活態度がおそろかになるから、人はそれぞれに合った方法論を作り出すことが大切なんだよ。なんでみんながみんな同じように幸福になれると思ってるんだよ。

*1:高校時代は週一でこの言葉を言ってた。懐かしい。そしてみんな考えること同じなんだなって感じる。