りとすら

書きたいことがあんまりありません

みんな動いてる

 職場でよく飲みに行くシゲルさんに免許とりなよ楽しいよツーリング行こうよってあまりにも楽しそうにしゃべりかけられたんだけど、それだけで免許を取りに行こうって気持ちになったんじゃなくて、前々から免許は取りたいなっておもってたからいいきっかけだから取ろうと思って東小金井の教習所に久しぶりに行ったら駅舎が建て替わっていた。
 白いハコみたいな駅舎は板戸がいうところの「つくられたもの」みたいだねといったビルに近いものがあってお台場に乱立するビルだとか、神奈川とか静岡とかの駅前のビルを思い出した。板戸はときどきビルだったり、建物だったりを「つくられたもの」って言うんだけどまぁ作ったからつくられたものであるのは至極当然のことでそれでも無意識に「つくられたもの」って言わせてしまうだけのアフォーダンスのようなものがビルの側に存在していることになる。
 俺にとってみれば静岡とか神奈川だとかはあまり境界線がなくてそこらへんの駅にはところどころこういった白いハコみたいな駅ビルがくっついていて横浜はともかく、小田原とかはいつもそんなイメージでどこから静岡だとかは関係ないんだけどこういった白いハコみたいな建物が日本中にあふれていることをあらためて実感してしまった。
 それは俺らが文化的に建物の記憶みたいなものを無意識のうちに引き継いでいてそれと違った近代的な文化が表面的に現れていることに対してまだ対応しきれていないということに他ならなくて実はいたるところに白いハコみたいなビルが建っていることは間違いなのない事実なんじゃないか。
 こういって文化っていうものは次世代に移り変わっていくのかと思うと建築なんてものはいかにもその先駆者で東京の中心の建築を見るだけではなくて郊外の建築にもデザインという概念が持ち込まれてしまっているから旧来の適応性のなさそうな建物たちが乱立することによってなんとかその雰囲気を確かめているような状況が変わっていく。
 文化をまじかに感じることは少ないけれどこういった瞬間に歴史の移り変わりみたいなものを感じて時間というのは自分のなかや自分の周囲だけでなく世界全体で進んでいることを初めて実感できた気がしてすこし頭の埃がとれた気がした。