りとすら

書きたいことがあんまりありません

わかんねえ

 中央線で見える風景はなんだか俺にとって一番慣れ親しんでいる風景で荻窪あたりから南の方角に向って遠くの景色を眺めているとなんだか懐かしいような気分になってくるんだけど、それは誤解なのかもしれなくて、ただ単に新宿から西に離れるといきなりビルがみえなくなるから安心するだけなのかもしれない。


 東京に住んでいても、やはり体は安心だとか安定だとかを求めていてゆっくりとした時間ってのはやっぱり存在するんじゃないかと思う。それは時間の質の問題なんだけど、場の形成にも問題があってモダンなガラス張りの建物で安心できるとは思えない。もともと人間はそんな便利な動物ではなくてしょせん動物なんだから、ちょっとばかし汚かったりぼろかったりするほうがいい。
 モダンなガラス張りな建物なんかは新しいものを吸収しようとするまさに動物らしさそのものが出ているだけで俺らが進化したってわけじゃない。



 帰り道、塾から30分くらい歩きながら考え事をしていたんだけど歩きながらの考え事は夢みたいなもので、まとまって何かの結論を出すのには向いていない。考えていることがそれぞれちいさな粒ぐらいにしか頭の中で広がらなくてすぐに忘れていくから、二個ぐらい考えが進むとその前に何を考えていたのかわからなくなる。


 もしかすると人間は頭と体の二つがきちんとくっついて存在しているのかもしれなくて体が動いているときは心があんまり動けない。これはスポーツしているときにすごく良く感じることでオリエンテーリングなんてやってしまうと山と自分との境界線の足がどこら辺にあるのかよくわからなくなって、いっつも生活しているうえでは感じられないものを感じられる。これは日常生活の歩いているときにもある程度機能していて歩いている分、きちんと考えがまとまらない。
 でもその分、季節の変化だとか天候の移り変わりだとかが感じられて考えるよりもまず、感じてしまっているけど
感じていること自体は感じていないのでそこが面白い。


 人間ってなんだか面白いと思っていたら家に着いたので、ベットに入って眠ることにした。