りとすら

書きたいことがあんまりありません

鈴木謙介『ウェブ社会の思想 <遍在する私>をどう生きるか』その1

ユビキタス」「ウェブ2.0」「ネットビジネス」・・・・・・
華々しい流行語の陰で何が起きているのか。
蓄積された個人情報をもとに、
各人の選ぶべき未来が宿命的に提示される。
カスタマイズされた情報が版rンする中で、
人は自らの狭い関心に閉じこもり、他者との連帯も潰えていく。
共同性なき未来に、民主主義はどのような形で可能なのか。
情報社会の生の行方に鋭く迫り、
宿命に彩られた時代の希望を探る、著者渾身の一冊。

鈴木謙介の新作。情報化社会論の概論として、ここ10年くらいの論壇をコンパクトにまとめている。
文脈の客観視ができている一方で、未来への絶望でも閉じこもりでもない「希望」を示す意欲作。


いままでの情報化社会論で、具体的によく話題に上がるのは「監視カメラの問題」で、
「監視」の自動化、またその理由づけとしての「セキュリティ」の問題として論じられ、
誰がアーキテクチャーを組んで、性犯罪者にGPSを埋め込むことの責任を負い、だれがそれを依頼するのか、
といった「みられていることが無意識化してしまう社会」が怖い。
といった論調が多かったことが頭にある人も多いと思う。


こういった「ユビキタス」社会に代表される、
「モノが自分自ら判断し動き、ユーザーにとって最適の環境を提供する技術」のことを
コンテクスト・アウェアネス」と呼ぶ。


モノがコンテクスト(文脈)をアウェアネス(気づき!)していくというシステムのことである。


こういった近未来社会は現実のものになりつつあり、
犯罪者のGPSから、子供に持たせるセコムの端末「ココセコム」もそれに該当する。


こうした社会では環境が自己生成されるために、われわれのその場面での最適な判断は何か?
という問題が浮かび上がる。
パラメーターの意味付けをどうするのか。
「開かないドア」は開けるドアなのか、開かないドアなのか。







本書の論点はイマイチ定まらない。
認知心理学とか脳科学なのか、「自己言及的な記憶」の話にも話が及ぶ。
そのなかで印象的なのは古谷実ヒミズ』の解釈だ。

ヒミズ(4)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

ヒミズ(4)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

なぜそうであるのかもわからないまま、
自分が「特別」であることが、
定められた宿命として自らをさいなむ。
住田(ヒミズの主人公)が求める「意味のある特別」と対照的な
この「意味のない特別」としての宿命は思想史的にすぐれて現代的な問題を提起している。

意味のある特別を受け入れること、選び取っていくことを「ロマン主義」、
意味のない特別を受け入れ、選び取っていくことを「シニシズム」とするならば、
現代において前者が機能していることは著者の前作『カーニヴァル化する社会』にて論じていた。

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

しかし、本書では、カーニヴァル(祭り)によって
ダウン系ではなくアップ系に自分を高めていくことが大切だと言いたいのではない。


私にとってあり得る未来の可能性の外側に飛び出していくことが大切なのではないか、
島宇宙の外側に飛び出して行かないといけないと、言っている。






次回は本書の最も大切な部分、工学的民主主義と数学的民主主義、その未来について。