今日、ゼータをちょろちょろ見たんだけど、
「やっぱガンダム史に燦然と輝くのはゼータだな」って話を
ゼミのオトコのコとしたんだよ。
なんでこんなことを言うのかっていうと
土曜日に飲み会があったんだよね。
で、なんで飲み会があったかっていうと
よこたの公演があったからなわけで。。
今回の公演は役者4名で
こじんまりとした舞台だったわけだけど
そのせいか、凄く自由だったし、無駄な労力がなかったと思う。
あらすじ
瞼を上げると、ピノキオは火山のふもとの村にいた。
村は歪んでいた。
開拓者は山のふもとから自由を掲げて集団生活を始めた。
しかしその思想はもはや欠け、
人間が到底住めない環境で村人達は貧困にあえいでいた。
慈悲深いピノキオは村人を説得し下山させようとするのだが、
村人はピノキオを村八分にしてしまう。
慈悲が村人を下山させることではないと気づいたピノキオは、
村に対して最大限の慈悲を与える。
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ピノキオが村に振ってくる。
ピノキオは「効率」を与えるが、
それはムラ社会にとって受け入れがたいもので
貨幣経済は破綻する。
混沌を極めるムラは、
異端者であるピノキオを最下層に取り込むことによって
もとのカタチを取り戻す。
しかし、何故ピノキオがやってきたのか。
なぜピノキオは「効率」を与えようとしたのか。
賢いのならば、自分だけでムラを出ればよかったのじゃないのか。
破綻しかけたムラを地震が襲う。
それは目に見えないアニミズム的な破壊。
圧倒的なチカラをもってもたらされる、ムラへの罰。
ムラの内包する罪と罰に対し、
ピノキオはその身をもって贖罪を遂げる。
残された3人のジョナサン、シャツ、メニは
外に向かって歩き出す。それが自分の進む道だと信じて。
キリストに触発されたペトロは、
それではじめて自分の罪を意識するようになるんだ。
これはキリスト者の物語だ。
これは贖罪の物語だ。
これは嘘と真実の対話だ。
これはムラと現代の対立だ。
人間は二項対立の中に
「真実」という名の祈りを発見する。
二年間、よこたを近くでみてた俺が言おう。
これはいままでの「よこたたかおの全てが詰まった」傑作だと。
愛は祈りだ。
僕は祈る。