りとすら

書きたいことがあんまりありません

「出資者は無理難題を仰る」とクワトロは言いました

今日、ゼータをちょろちょろ見たんだけど、
「やっぱガンダム史に燦然と輝くのはゼータだな」って話を
ゼミのオトコのコとしたんだよ。
なんでこんなことを言うのかっていうと
土曜日に飲み会があったんだよね。
で、なんで飲み会があったかっていうと
よこたの公演があったからなわけで。。



今回の公演は役者4名で
こじんまりとした舞台だったわけだけど
そのせいか、凄く自由だったし、無駄な労力がなかったと思う。


あらすじ

瞼を上げると、ピノキオは火山のふもとの村にいた。


村は歪んでいた。
開拓者は山のふもとから自由を掲げて集団生活を始めた。
しかしその思想はもはや欠け、
人間が到底住めない環境で村人達は貧困にあえいでいた。


慈悲深いピノキオは村人を説得し下山させようとするのだが、
村人はピノキオを村八分にしてしまう。
慈悲が村人を下山させることではないと気づいたピノキオは、


村に対して最大限の慈悲を与える。

http://nudo.main.jp/
ピノキオが村に振ってくる。


ピノキオは「効率」を与えるが、
それはムラ社会にとって受け入れがたいもので
貨幣経済は破綻する。


混沌を極めるムラは、
異端者であるピノキオを最下層に取り込むことによって
もとのカタチを取り戻す。


しかし、何故ピノキオがやってきたのか。
なぜピノキオは「効率」を与えようとしたのか。
賢いのならば、自分だけでムラを出ればよかったのじゃないのか。


破綻しかけたムラを地震が襲う。
それは目に見えないアニミズム的な破壊。
圧倒的なチカラをもってもたらされる、ムラへの罰。


ムラの内包する罪と罰に対し、
ピノキオはその身をもって贖罪を遂げる。


残された3人のジョナサン、シャツ、メニは
外に向かって歩き出す。それが自分の進む道だと信じて。
キリストに触発されたペトロは、
それではじめて自分の罪を意識するようになるんだ。





これはキリスト者の物語だ。
これは贖罪の物語だ。
これは嘘と真実の対話だ。
これはムラと現代の対立だ。





人間は二項対立の中に
「真実」という名の祈りを発見する。



二年間、よこたを近くでみてた俺が言おう。
これはいままでの「よこたたかおの全てが詰まった」傑作だと。

愛は祈りだ。
僕は祈る。


舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。