りとすら

書きたいことがあんまりありません

ディドロ統一体

「君が僕の存在を信じてくれるなら、僕も君の存在を信じるとしよう」
ルイス・キャロル

 今週の講義は社会学の概念でディドロ統一体というのがある。という話だった。
 前回の記号消費の話とも被ってくるんだけど「現代人の消費の根幹には、消費を無意識に統一しようとする強制意識がある」というのが基本的な概念。


 例えば、大学に入っておじさんからヴィトンのサイフを貰った女の子がいるとする。すると、その女の子はヴィトンレベル(こういう統一的意識)のファッションをしようとする。
 例えば、社会に出て社会人のファッションに触発されてヴィヴィアン・ウエストウッドで揃えてみたり、ポールスミスを買ったりするって事。
 これは今の段階ではあんまり実感がない。大学生っていうと、環境が不安定でどんなコミュニティに属していても「環境の統一性」があんまりない。


 でも、多分、こういった圧力は確かに存在していて新しいファッションのレベルに行き着くと発揮されてくる。タケオキクチの常連になっているバイト先の同僚の顔を思い出しながら授業を受けていた。