りとすら

書きたいことがあんまりありません

時をかける少女


なんだかしらないけど妙に好評なので見てきました。
東京だとテアトル新宿でしかやってないんだよね。


ずいぶんとアニメ的ではない構図が多用されている映画だった。
アニメ映画って、
「テレビドラマ的」なアニメと
「映画的」なアニメの2つがあって
この点では、実写映画とあまり違いがないと言える。


ここでアニメ的な強みは何かといえば、
「現実では出来ない事が出来る」
ということ。


現実では撮る事が出来ない映像が撮れる創造力の高さこそがアニメだ。


では「時をかける少女」ではどうか。

高校2年生の紺野真琴は、踏切事故をきっかけに、時間を跳躍する能力を得る。叔母の芳山和子に相談すると、それは「タイムリープ」といい、年頃の女の子にはよくあることだという。過去に飛べる能力。世界は私のもの!と思われたが、クラスメートの男子生徒、間宮千昭や津田功介との関係に変化が。千昭から思わぬ告白を受けた真琴は狼狽のあまり、その告白をタイムリープで、強引に無かったことにしてしまう。3人の友達関係が続けばいいと考えていた真琴の望みは、厄介な状況に。叔母の和子は「つきあっちゃえばいいのに」と、のんきなアドバイス。真琴はタイムリープで東奔西走するのだが…。

現実の映画=“過去”の時をかける少女
「ノスタルジックさ」と、「少女的ロマンチシズム」に満ち溢れていた。


コレに対し、細田監督版の主人公が体現するのはエネルギッシュさ。
過去の「男視点からの少女愛的ロマンチシズム」は
細田の描く「女性視点からのアグレッシブさ」にとってかわられることによって
新しい現代のリアリティが提起されてくる。
そこで着目しなければいけないのは、過去バージョンの主人公が

紺野真琴の叔母であり、ちょっと謎めいた30代の独身女性として登場する、
原作の主人公、芳山和子

としてでてくることであり、ここで過去と未来が共存することになる。


ここで細田守とは誰か確認しておこう。

2005年春の劇場版「ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島」を手がけた気鋭の監督。芸術家の村上隆とのコラボレートにより、フランスの高級ブランド、ルイ・ヴィトンの店舗で上映された短編『SUPERFLAT MONOGRAM』や、六本木ヒルズのコマーシャルも監督。すでに世界に認められるアニメーション監督。


実は「ハウルの動く城」の監督として抜擢されながら、見送られてしまった過去を持つ。


過去の作品
ONE PIECE ワンピース THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島 (2005)  監督
デジモンアドベンチャー02 (2000) <TV> 演出
デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム! (2000) 監督
デジモンアドベンチャー (1999) <TV>   演出
デジモンアドベンチャー (1999)   監督

監督よりのメッセージ。

■監督メッセージ

筒井康隆氏によって「時をかける少女」が書かれてから40年。当時、少女たちは、「時をかける少女」を読み、未来を夢見た。そして今、かつて未来と夢見られた21世紀に僕らはいる。けれど、決してあの頃、少女たちが憧れた未来ではないはずだ。では、夢見たはずの未来の姿は、どこへ行ってしまったのか?現代の少女たちも、かつてと同じく、未来を夢見るのか?ならば、その未来とは、どのようなものか?この映画には、ふたりの女性が登場する。ひとりは、かつて、「時」をかけた女性。もうひとりは、今、「時」をかける少女。このふたりのヒロインを通じ、時代によって変わっていくものと、時代を経ても変わらないものについて考えてみたいと思う。「時をかける少女」には、その時々の言葉で、時々の方法で、時々の少女たちで、何度も語られるべき、世界の秘密が隠されているのだと思う。

監督・細田 守

このアニメは昨今流行の「ロリコン的アニメ」ではなく、
新鮮な少女、少年たちの「選びなおす行為」を見ている。


2006年の夏はハズレが多そうで怖いんだけど、
これは当たりだと思うよ。うん。