りとすら

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一般人をどう考えるのか

酒の席ってのは、やっぱ凄く良いものだと思う。
みんなの主義、主張が聞けるから、大好きだ。
ま、ただ酒が好きって説もあるけれど。

今日は、芸術に関する主義の違いを認識した。
「一般人を自分の中でどの程度のレベルにまで持っていくのか」っていうことはよく考える。

「一般人にわからなくてもいい」というのはエゴだし、
それで喰っていこうとしている人間の台詞だとは思えない。
一般人をなぜそこまで否定するのだろう。
「自分の方が偉い」などとザレゴトを抜かすつもりなのだろうか。
空虚な自信ならば捨ててしまえば良いのに。
「くだらないプライド」を持つことは何かを成し遂げるときに必要だが、
無駄な矜持ならば邪魔なだけだ。
「くだらない」という自覚が、何かを動かす最後の力をもつのだと思う。

目的地が同じでも対するアプローチが違うのならば、それは別のものである。
一般人の存在を否定するのか、
こんな自分でも「こういうものが面白いものだと思う」っていうのか、
「お前ら、こういうのが面白いんだろ」って見下すのか。

一般人の枠組みに囚われてしまっている感覚から抜け出して、
「俺はなんでもできる。お前らを踏み潰して突き進むんだ」といっても、
次の瞬間には、やっぱわかってもらえないのか…というジレンマに陥ったり。

けれども、やはり最終的なレベルとしては
静かな海のように、ただ受け入れてくれる人が居るだけで幸せな段階に進むのだと思う。
「自分が普通である」という認識をしてしまった人間の、たどり着く最終目的地のように思うのだ。
それがたったひとつの冴えたやり方なんだろうと思う。

静かな暖かい気持ちに包まれながら無心で作業する境地にいつかはたどり着けるのかなぁ…