りとすら

書きたいことがあんまりありません

読むモノを変えるだけであって、作風が変わることを期待していない。

好きなモノを読む。
それは思考の主体的選択であって、
その選択性から逃れる事はできない。
客観的視点の獲得のために
いろんなものに触れる事も大切だけど
そこには主体性がない。
主体性と客観性の共存の難しさ。

好きな作者のものを読むのは作者の一面をなぞるだけで、
そこに厳格な作者性は必要ではない。
作者なんてもんは消費されてしまうのだろうと思う。
作者が進化することも進化することを読みたい読者に消費されてしまう。
不可逆的に消費されてしまう作者。
作者の個性も読者に操られる対象で
作風も記号の偶然の選択による産物でしかない。

人間付き合いにも同じことが言えて、好きでない人と付き合う必要はない。
好きなモノを愛することはオタクであり、
社会性を失うという意味で使われるのはこういう理由だろう。

摩擦に対応していかなければ、
成長することもない。