りとすら

書きたいことがあんまりありません

「少年マガジンで何故企画モノのマンガが始められたワケ」

「1997年7月、23年間発行部数日本一をほこっていた少年ジャンプが
ついに少年マガジンに王座を明渡した。
かっては600万部以上あったジャンプは、
目玉だった鳥山明の「ドラゴンボール」の連載が終了したあと急激に部数を落とした。
一方、テレビ化もされて人気急上昇中の「金田一少年の事件簿」をはじめとする
一連の企画モノ(メディアミックス戦略)を売りにするマガジンは、
かっての部数日本一の座を取り戻すべくジャンプを急追、
ついに410万部を越えたところでジャンプを抜き去った。

当時講談社は、質の高い漫画を世に送り出すことで
漫画に対する学校や親たちの警戒心を解こうと必死だった。

そこで考え出されたのが、学校の授業でもとりあげられるようなテーマを漫画にして、
その漫画の原作者や漫画家を全国の小中学校に講師として派遣するという企画。
いろいろな講演が行われ、確実にマガジンの読者層は広がっていった。
こうした地道な努力が実を結び、ついに王者ジャンプを抜くことができたのである。

しかし目標を達成したマガジンはその後次第にマンネリ化が目立つようになる。
最近のスポーツ関係の企画モノはその典型である。
それと歩調を合わせるように、漫画全体がパワーを失い読者の漫画離れ、
部数の急激な落ち込みで出版界は冬の時代に突入していく。」
以上引用 一部改編 参考

マガジンの企画モノはこんなところに根本があったらしいです。
知られざるマンガ界の歴史…