りとすら

書きたいことがあんまりありません

DEEP LOVE

去年一部の中高生に話題になっていた
DEEP LOVE」をたまたま見つけ、
立ち読みを敢行してみました。
どんなもんなのかと。

…「文学」としての価値はないですね。
あらすじは
アユといういかにもシブヤ系の少女が
いろんな大人に出会い、
いろんな経験をし、
最終的に「生きる」って素晴らしいことだよね。
という形式(おおまかには大体こんな感じ)で終わる、
ありがちなシロモノでした。
具体的に作品は思い出せませんが
何かのパクりの気がします。

ここまであからさまに「泣き属性」を付与されてしまうと、
オタク的なノリを連想してしまうのは病気でしょうか…

先ず文学的に見てみましょう。
[テクニック]
〈〉という記号を使っているのに、
その記号がどの立場(どの登場人物か作者の視点)から
書かれたものかに統一されておらず、
意味を成していない。
ケータイメールを使っての文章配信のまま移植したため、
会話が「」『』になっているだけであり、
会話が単調。
そのためか、作中人物が薄く人間が書けていない。
また同時に、余白も巧く活かせていない。
横書きには横書きなりの表現手法が存在する筈なのに曖昧である。
[文学内容]
言葉の装飾が貧困で、
どういった空気感をだしたいのか不明。
人間描写が薄すぎ、各人物の歴史が感じられない。
性描写が無駄な方向にいってしまっていて
もうちょっと違った表現方法もあったのではないだろうかと思う。
確かにテーマがテーマだけに性描写は避けられないが、
無駄で遠回り、もしくは中途半端とさえ言えてしまうものになっているのが残念。

次に商業的に見てみるとすると、
泣き属性フル装備で効率良く泣けるが、
メッセージ性が低いだけに
安易に楽しめる娯楽です。
もはやここまでされるとニヤリとしてしまう。
ていうか、そこまでエイズ止めたいなら
ゴムの付け方指導とか
ピルだけだと危ないよーとか
ウリ止めろとか
安全日だからって安易にナマは止めろとか
いろいろあるだろうに…


なんも考えずに読めば効率的に泣けるけど
気付くと焼きたくなるタイプの極めて現代的な作品であり
商業主義という時代を作中で否定しつつも
その作品自体が商業主義に飲み込まれているという
ネジレた作品でした。

泣きたい方にはオススメの薬ですので
効果的に服用するために
頭を空にして読むことに注意するとよろしいかと。

それにしても、
本を効率良く泣ける道具として使う人の気が知れないなぁ。
単なるドーピングに過ぎないのに。

Deep Love―アユの物語 完全版

Deep Love―アユの物語 完全版