りとすら

書きたいことがあんまりありません

森博嗣「詩的私的ジャック」

森の詩的私的ジャックを読み終えた。
名台詞おおすぎるので引用しまくりますよ。
(究極的理系思考のあらわれかもね)


言葉はね、言い方や言い回しじゃない。
内容はきちんと伝えないとね。それが言葉の役目だから。


仕事と趣味の違いなんてものはない。
両者の本質は同一のものだ。


人が死ぬのは何で悲しいのか。
それは悲しいという感情がパーソナリティの喪失に対して象徴される感情だからだろう。
他人でも自分自身でも当てはまる。


相手の思考を楽観的に期待している状況…、
これを甘えていると言うんだ。
気持ちなんて伝わらない。
伝えたいものは言葉で言いなさい。
それがどんなに難しくてもそれ以外に方法はない。


強くなろうとする精神は、
実に汚れたものということになる。
あらゆる宗教が造り上げた巨大な造型が、
到達できない単純な美しさへの居直りであったように。
自然界にあるものは、きれいな結晶ほど強いのに…。
人間はその逆。
人間はクリスタルではない。


台風の進路だって扇形にひろがっているだろう?
人間の進路はもっと広角だ。


天秤は重い方が下がる。少しでも重い方に傾くのだ。
どんなに重い物でも、
それより少しだけ重いもののために、犠牲にしなくてはならない。
生きていくためには、そのジャッジから逃れるわけにはいかない。
本当に、そうだろうか…?
どうして、逃げられないのだろう。
生きるということは、そんなに不自由だろうか?
何故、逃げなかった?
いや、逃げるか、逃げないかも、
やはりジャッジの対象なのだ。問題は同じだ。
世間体をまったく気にしない、まったくの自由人は、
それを、自分のライフスタイルと思い込むことで、
自分の体裁を気にしている。
格好をつけるのが嫌いだ、という人間は、
格好をつけないことが、格好のいいことだと思っていて、
つまり、格好をつけている。問題は同じだ。
他人に干渉するな、と要求することは、
そういって他人に要求している。
自分が特別だと思っている、
それ自体が特別ではない。
意識とは不自由なものだ。
こうして、自分のアイデンティティは、
素直な思考によって不可逆的に軟弱になっていく。
最も効果的な防御は考えないことだ。
どうして、もっと強くなれないのだろうか、人間は…。