りとすら

書きたいことがあんまりありません

中学受験という異世界/魔界

 ホットエントリに触発されて。もとサピックス講師としては、何か書かなきゃならん!

第一に、中学受験の洗礼を受けた子供は、一日9時間の勉強など苦痛でない忍耐力を持っている。第二に、彼らは競争の勝ち負けには慣れきっている。第三に、彼らは非常に豊富な知識と好奇心を身につけている。
―――中学受験を終えて思うこと - hiroyukikojimaの日記

 忍耐力というか。サピックスシステムというか。
 ついていくだけで合格まで自動的にたどり着けるように計算されているから、合格実績が良いのだよね、サピックスは。


 特徴として、尋常じゃない量の宿題が出ることと、予習ができない教材システムになっていること、毎回行われる小テストという名のクラス昇降システム。この三点。
 「計画的に」子供を躍らせるように塾としてのシステムが成り立っているのだ。小学生の特性を上手く利用した形でのシステムなので、文句無し。


 流れ
 1、はいテストはじめまーす。先週の授業でやったよねー
 2、はい。今日のテキスト配ります!
 3、はい。じゃあ今日の範囲を復習してきてね!
 をエンドレス!しかもクラス昇降付きwww

子供の行動原理

1. 競争したがる
2. 真似したがる
3. ちょっとだけ難しいことをしたがる
4. 認められたがる

出来ることは面白い。個性を大事にといって順位をつけないのは綺麗ごと。教える、与えるではなく、引き出すのが教育。
(中略)
思春期になるといろいろ「冷めて」くる。本能的に行動する最後の時期に中学受験で一花咲かせるのは悪くないと思う。
―――中学受験を15年前に終えて思うこと - 只今道草中(再)

 競争って素敵だね。素敵な資本主義だね。強者が弱者を搾取する社会システムの縮図を見ているようだね。小学生を見ているだけでも。

 理論とか理屈とか、どうでもいいと思っている。詰め込み教育と言われようが構わない。基礎ができていない人間に、応用ができるわけがない。

 異常な業界です。
 でもそんなハードワーカーがトップ企業のコンサルとかSEとかに就職してるのを見てると、なんも言えん。(それだけじゃないのは重々承知しておりますが)

へらへらしてろ

深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと僕はうすうす感じとっていた
―――村上春樹ノルウェイの森

 細かな事柄がちりのように降り積もってしまっていて文化的雪かきをくりかえすだけの毎日に嫌気がさした僕はたび重なる自らの行動の繰り返しに吐き気を催しどうしていいのかわからないと途方にくれながらも、途方にくれる暇もない現実に対して仮想的にではあれ大丈夫だと思い込んでいた。
 思い込んでいた現実は現実ではなくて客観的にみれば上司に「顔が死んでるぞ」と言われ連日に渡って説教をされるかと思えば説教の最中に心配される始末で上司も新卒の僕を潰したくなくて温情をかけているのかもしれないなと思い上司の温かさにほっこりとした気持ちを抱きながらも、所詮は他人だし僕が死んでも上司は苦しまないのだこれはパフォーマンスに過ぎないのだとひねた目線で上司の小さな瞳の中をのぞいていた。


 今になって机の中の引き出しにしまってある社会人になるにあたっての心構えや知り合いからの気にない手紙を読み返していくうちにそのに書いてある様々な物事が真実であるのだということに気づかされてしまってとてつもなくせつなくさびしい衝動に襲われるとともに自分の矮小さと稚拙さを再認識させられるにいたった。



 タフさが足りないのだこれは仕事だという認識が足りないのだ仕事で楽しむって言うことはゲームを楽しむことであって、好きなゲームを遊んでいるんではなくてジャンクボックスから目隠しした状態で購入したカセットをどきどきしながらクリアしなければ死んでしまうようなそんな状況に似ている。



 へらへらいきるしかない。ばーかばーか。

東のエデン

 TV版のみ視聴。後、映画版視聴。

# 原作・シリーズ構成・監督:神山健治
# キャラクター原案:羽海野チカ
# 音楽:川井憲次
# アニメーション制作:Production I.G

 攻殻SACとハチクロがともにノイタミナ枠でやってたから、そっから話が出てきたのかな。SFとしては軟派な作風になってしまったのは羽海野チカの影響力の強さを感じる。

東のエデンシステム

 電脳コイルと同じ。たぶん5年以内くらいにgoogle先生が実現してくれそうな気がする。

ミサイル

 ミサイルの表現に関してはパトレイバー劇場版2を連想する。神山さんが押井塾の生徒だったこともあって、あーいった演出はお得意なんでしょうな。

あんたの話面白かったよ。欺瞞に満ちた平和と真実としての戦争。だがあんたの言う通りこの街の平和が偽物だとするなら、奴が作り出した戦争もまた偽物に過ぎない。

ニート

 自己責任の空気とニート問題に関しては病巣が深すぎるから、問題解決の手段としては国に全責任転嫁するのもできないし、といったところで「あいつらポテンシャル持ってるんですよ。上手く方向づけすればすげー力発揮しますよ」としか描写されていなかったのが残念。それで救世主なのか、と。

まとめ

 なーんか、統合されたイメージがない作品だ。どれをとってもスタッフの人選を見ても一流どころそろえました。でも統一感はありません。っていう。
 なんだかふわふわしてる。

2009清算と2010目標管理

 あけましておめでとうございます。元気に富山の雪にまみれながら生活してます!皆さんはお元気ですか!?
 「あけましておめでとう」って言うのはなんだか社交辞令で嫌いだと思っていましたが、社会人になってみるとあら不思議。社交辞令の大切さに気付かされます。


 ここ2年を振り返りつつ、来年の目標を立てたいと思います。ちょうどこの会社は12月決算なので、生活リズムを4-3月から1-12月に切り替えていかないといけません。

2008年

 1-3月は就職活動で忙しい時期でした。こういった大変な時期はいろいろな思い出が残りますね。必然性とか偶然性とか運命論だとか考えていました。まだ自分が挑戦者として息巻いていた時期。輝いていた時期です。
 4-8月は就職活動の反動で何もしていなかった記憶が。4年生としてやることを発見できなかった暗黒期です。
―――作業がぼくを正常に引き戻す - りとすら
 夏以降は塾講師に目標設定して入魂。開成、駒東、女子学院などに送り出すことができました。やっぱり学校の先生だけが信じている神話「子供は奇跡を起こす」は正解のようです。この経験は大きな自信になりました。

2009年

 1-3月は、受験期で最後の仕上げに奔走していたのと、卒論
 ―――卒論完成「日本アイドルビジネスの歴史的変遷と現在 どういう物語が語られてきたのか」 - りとすら
 やったり、いままで会えなかった人に会いに行こう企画でした。いわゆるケジメってヤツです。私の人生の中の線路に一度でも交わった人たちが今なにをしているのか、なにをしてくれるのかを見に行きました。何年か経って、仕事で、プライベートでまた線路が交差するのが楽しみでなりません。
 4月入社。研修。このころはまだ、かわいいもんでした。なぜなら同期200名のぬるま湯の中で自分個人に対する評価も厳しくなく「見られている」感覚が欠如していたからです。
 5月異動。緊張の連続。飛び込みによる直接営業体験。夏、先輩社員同行によるOJT。
 10月、初担当編成。慣れないことの連続と増える質問事項。支社内でのやり方について考える。

そして今2010

 正月は実家に帰らず、フラフラと車を走らせながらスキー場に行ったのですが、いろいろと考えました。2009年のこと、来年のこと。
 目標は「態度・生活・精神の社会人化を完成させる」に尽きます。

言葉・姿勢

 どうもあまり学生時代に意識していなかったんですが、言葉遣いが汚い面が多々あって、それが仕事にも時々現れてしまいます。丁寧で綺麗な日本語を使うように努力します。ナチュラルに出るようになるまでは。「なるほど」の禁止。「すみません」の禁止。「バタバタしてまして」の禁止など。「おっしゃる通りです」「かしこましました」「申し訳ございません」を使えるようになることを目指します。先輩社員にも「言葉遣いでお前は損してる」とよく指摘を受けます。
 姿勢は2009で若干の改善が見られました。これは2010も引き続き意識していきます。歩き方とか立ち方とか座り方とか聞き方とか。いまだに正座だけはできません・・・
 幹事は学生時代のツケが・・・勉強の一年となりそうです。いかんせん水商売系統の覚えがないので二次会のセッティングに困ります。宴会の仕切り方もよくわかりません。

スケジュール管理

 優先順位付けでどうしても日々のタスクをこなすことが多いですが、なるべく長期のスパンで考えていきたいです。それを日々に落とし込む。職階レベルから言ってタスクが増えますが、ジョブレベルで捉えていかないと数字につながらないので。
 なんだか学生時代は「マルチタスクマルチタスク」と声高に叫んでいましたが、マルチタスクなんか当然で、ひとつのタスクでどれだけマルチジョブの完成度を上げられるかという視点を持たなければ、営業マインドとしては失格のような気がします。会社社員というのはそもそも全員が営業であって、事務作業だけであればパソコンに任せておけばいいですから。


 筆記用具は今のところ「能率手帳ネクサス*1「RHODIA No.16」*2「A7サイズのリングメモ帳」*3「大学ノート」*4

求められている新入社員像

 悪い意味で落ち着いているところがあるので、今一度「元気よく、ハキハキと、新人らしく」をウリにしなければいけないようです。高度な交渉術なぞは持ち合わせていないので、丁寧で即座の対応による「新入社員の可愛らしさ」を見せなければ上手く回らない様子。これは徐々に出来てきているので、今後も引き続き。
 一番大切なのは食らいついていこうとする覚悟なんでしょうか。

確かに大学でも偉大な大先生や優秀な先輩は居たはずなのに、こういった 気持ちにならなかったのは。多分、僕の側の「覚悟」の違いだと思う。


大学では結局その道で生きるつもりはとりあえず無かった。従って、「まぁこの人たちは この道で勝手にやってれば。僕は違う道だし。」という気持ちが少なからずあった。 こんな歪んだ目で見ていれば、良いものも良く映るはずもない。


今回は違う。僕はこの道を「正解」にする必要があった。この選択を「間違いでない」ものに する必要があった。でなければ、僕に生きる価値はない。その覚悟が、状況を冷静に 捉えさせてくれました。

プライベートの目標

同期ともうちょっと仲よくする。連絡を取り合うこと。

 あまりに余裕がなさ過ぎて同期間でのコミュニケーションが皆無な状況です。内勤のアイツとあの子とアイツとは積極的に絡んでいくのでよろしくお願いします。更に言うなら、営業現場のアイツとアイツも情報交換していきたいです。実務上有意義なのに加え、私のモチベーションにもつながります。

休日の充実

 一人上手になり過ぎです。もっと交流を持ちたいです。ただ平日の反動で著しくテンションが下がるので、予めスケジュールを組んでおいて心の準備をしておけば良いのだろうと思います。会社外での付き合いを探します。




 以上、総括と目標でした。なんだか長くなりました。筆記用具に関してはまた何か書くかもしれません。

*1:マンスリーとデイリーを同時に開ける機能性は素晴らしいの一言

*2:大学の卒業記念品のパットを使用中ですが試行錯誤中。No.13にしようかどうかといったところ

*3:Todoタスク管理。RHODIAと合併を思案中

*4:社内会議用議事録として保存がきく

仕事の優先順位

仕事はタスクがいくつもつみ上がって出来ているわけですが、タスクがうまくなるのと仕事がうまくなるのは別っぽい。
仕事中っていくつものタスクがあるので、これを並べて一気にやるのは無理がある。一つ一つ順番につぶすしかありません。

なので、まず一番大事なのは手持ちのタスクを把握していること。つぎに優先順位をつけること。
私の優先順位のつけかたは、タスクのボリューム、期限、重要性、基準に決めています。
タスクのボリュームが小さく重要性の高いものがプライマリ。たとえばメールで資料をなげるなんてタスクは何より忘れるので真っ先にやります。
セカンダリは期限が短く重要性の高いもの。顧客からの急な依頼などです。
その次は期限が短く、重要性の低いもの。議事録なんかですね。
そして期限が長く、重要性の高いもの。ここは「自分がやりたいこと」なんかが来ます。たとえばルーチンの自動化や手順書の作成がそうです。
最後はボリュームが小さく期限もながくて重要性の低いもの。気分転換です。
とうぜん期限が長く重要性の低いものはやらない。タスクから抹消。
しかし期限とか重要性ってどうやって測るんだろうという問題があります。期限はともかく重要性は難しいですよね。
主に重要性は「人から頼まれたか」「目的がなにか」「アウトプットがどこにつながるか」なんて観点から測っていますが、もっとブレイクダウンするのが今後の課題です。

 同じく新入社員のid:skerenmiさんより。


 新入社員が一番出来てないことアンケートの最上位に来るのが「優先順位付け」。(うちの会社で)そのためにはまず、タスクの把握はもちろん。とりあえずのタスク箇条書きリストをペーパーで手元に把握しておく。これ。パソコン管理は性に合わんし実務上端末を常時さわれないから却下。
 んで、実際の優先順付け。



 つけ方はボリューム、期限、重要性、と三点上がっていたけど。自分の場合。
 一番。客に対するもの。お客さんが最優先。何があろうとも上司にどやされようとも、これは最重要。お客がなけりゃ仕事にならんから社内でどうとらえられようとも最重要。社内政治なんか知ったことか。俺はやりやすいように仕事するぜ。と。
 二番。支社内でのパフォーマンス。雑務処理だとか(コピー機メンテナンスとかね)掲示物作成だとか速報作成だとか。飲み会のセッティングとか?
 三番。本社への報告物とか。会社にもよるかと思うけど、うちの会社はルーズなので一報入れれば一日二日ズレテも問題ない。(大丈夫なのか?)


 一番の判断基準は「次工程の意識」に尽きる。同レベルの次工程の場合、すぐ終わる作業を先に終わらせ、時間のかかるものを後回しにする。んでも、何かタスクのモレがあっちゃあいけないけども。




 ま、「近所に住んでる人ほど朝寝坊する法則」のごとく簡単な仕事ほど忘れてしまうけど、それが一番重要だったりするんだよなー。そこが怖いところで、常に同時並行的にタスク把握(処理しなくてもいいから)していかないと「仕事できない」扱いとなる。それはタスク処理が早くても、仕事処理が遅いので、評価としては総合でマイナスなんだわ。
 んで、結論としては「先読みしてやらなきゃいけないことを先にこなして地雷をつぶしておくこと」これに尽きる。

 
 「次工程の意識」ね。本社の方針の流れと、自社の歴史と、業界の流れと、自分の日々の業務のリンク。先読み。

遠いのに近いという錯覚

「あなたの事は今でも好きです」
3年間付き合った女性は、そうメールに書いていた。
「でもわたしたちはきっと1000回もメールをやりとりして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした」
―――『秒速5センチメートル

そこで、mixi日記である。
(中略)
別に、それがあったほうがいいとかは思わないのだけど、人との別れに泣くということは、これからほとんどないだろう。
本当に、人と人が別れようと思ったら、物理的なことじゃなくて、もっと抽象的に別れていかなくてはならなくなる。

 安易に接続している感覚があって、簡単にコミュニケーション欲求が充足させられてしまう気がする。
 高度でタフな現実でのネゴシエーションが必要なんじゃなくて、安易に自分だけが感じている一方的な感情をあたかも双方向のダイアログとして知覚する状況。モノローグのダイアログ誤認とでも言うような。


 周りのことを考えて反射的にコメントを返していくだけで、現実でのつながりはどうなんだろうか。一対一でコミュニケーション体系が収束するのではなく、交わしている会話相手じゃなくて周りを気にしている感覚。


 本当に同時に多くの人と一定の関係を保ち続けられることってリソース裂くのもったいない気がするんだけど、どうなんだろ?と思いながら、今年も年賀状を作っている自分がいる。

好きな人を好きで居続ける余裕

こんなことになってしまったのは、わたしが彼に興味本位で聞いたからだ。
 男の人って、結局、女の子と寝たいだけなのでしょって。


 彼は困ったようにことばをとぎり、電話の向こうでなにかを悩んでいた。話そうか話すまいか悩んだ末に、前の恋人の話をはじめる。とても正確になにがどうなり、どうなっていくのか、それを正確に話したのは、彼が自分の気持ちをはっきりと伝えたかったからだと思う。彼は伝えたかったのだろうと思う、火遊びをはじめて、お互いがお互いに溺れるようになるとろくな事がないよ、ということを。まるで失楽園のような恋愛を、わたしとしたいわけではない、ということを。


 彼はいまでも、前の恋人を溺れさせてしまったことを悔いていて、わたしとまた同じことになるのを極度にこわがっている。だからわたしが男性恐怖症で、電話しかできないことに、思いのほか満足しているようで、それでも、このまま一生電話のままであることも怖がっていて、その両側を振り子のように揺れつづけている。

いや、いいんだよ。彼女自身にはなにも非がない。非があるのは私の方だ。
人は、自分のイヤなところを拡大して見せてくる相手を最も嫌がるという。
私の場合はそれが「自分酔い」なのかもしれないなぁと。
この文章は私が大学時代とかに脱ぎ捨てた青春の抜け殻を見せつけられるようで辛い。
―――http://blog.goo.ne.jp/poponngaponta/e/a4ec2734c6de080895667418dc0016ff

 好きな人を見つけないとそろそろひからびるなー。まずいなー。かわいたこころ。かさかさのこころ。


 。。。


 ここ一月ほど、自分の中の感情がなんか山場を迎えている気がしている。慣れてきてしまっている。答えを見つけられずに毎日いらいらとするばかりで。こんなものなのかなと感覚を掴んできてしまっている。
 先輩の仕事を引き継いでみたら尻拭いばっかりで先輩でなきゃできないことを頼んでも忘れてしまっていたりして、他人に対する期待値が低下している。同僚に対する期待値が低下する中、代理店に対する期待値も低下しているから、仕事に覇気が出ない。気合が入らない。数字につながらない。


 どきどきしたいなー。すきなものをみつけたい。すなおなこころで。*1

*1:とりあえず年末までは無理だなwww